始めに詩ありき
詩人マイケル・ホロヴィッツ (Michael Horovitz) は、リサージェンス誌誕生の目撃者。グレッグ・ニールのインタビューにて、ラジカルな夢と希望の時代を振り返ります。
「君が来るときのためにメモを書いておいたんだが、あれはどこにあるかな・・・。」と、マイケル・ホロヴィッツ (Michael Horovitz) は自分の背丈よりも高く積まれた書類の山や、机の上にあふれ出した書類を見つめながら、打ち解けた微笑みを浮かべています。
私たちのティーカップは不安定な場所に置かれています。並んだ本棚や積み上げられた数々の本の山、たくさんの書類の入った箱に袋、雑誌やパンフレットなどのあらゆる印刷物、周りにある全てのものが、偉大な文人であり初期のリサージェンス誌を知る人物の人生と関心を物語っています。ホロヴィッツは今や80代。1950年代から彼は書き続け、編集し続け、演じ続け、そして何よりも詩の擁護者であり続けています。アレン・ギンスバーグ (Allen Ginsberg) 、ウィリアム・バロウズ (William Burroughs) 、グレゴリー・コルソ (Gregory Corso) 、ローレンス・ファーリンゲッティ (Lawrence Ferlinghetti) などのビート族【物質文明を批判し生活の自由を目指した若者たちの総称】の執筆家たちと同時代を生き、彼らの友であるホロヴィッツは、文学界における主流から外れた執筆家たちや役者たちを今日まで励まし、触発し続けています。
「あなたのおかげで、そして学生のときに読んだあなたの名詩撰集 Children of Albion(アルビオンの子供たち:1969年)のおかげで、私は今の仕事をしているんです。」とホロヴィッツに話している文学者を見たことがあります。
ところが、リサージェンス誌の歴史の中では、ホロヴィッツの関わりは複数にわたります。リサージェンス誌に掲載された始めての詩はホロヴィッツが書いたものです。リサージェンス誌の構想が生まれる様を目撃し、発行へと導き育てた類まれなる人たちと親交がありました。ホロヴィッツはリサージェンス誌の最初の共同発行物の一つの編集を手助けし、以来その歩みを見守り続けているのです。
古い常套句にこんな文句があります。もし君が1960年代を思い出せるなら、たぶん君はそこにはいなかっただろうが、その物語は1965年6月に始まる、というものです。ホロヴィッツの家族は1930年代にドイツのナチスから逃れてきました。ホロヴィッツ自身は1950年代にオックスフォードで学び、何よりも詩人ウィリアム・ブレイク (William Blake) の急進的な詩と政治思想に刺激を受けて、1950年代の終わりには詩を書き、New Departures(ニュー・デパーチャーズ誌)を編集していました。ロンドンにおける初期のカウンター・カルチャーに魅了され、世間に衝撃を与えたInternational Poetry Incarnation(インターナショナル・ポエトリー・インカーネーション) では演技を披露しました(「ホールを混乱させるのにも一役買っちゃったけどね。」と彼は微笑みます)。インターナショナル・ポエトリー・インカーネーションは1965年6月11日に開催され、この前衛的な美しい響きの詩をもっての政治的な意味合いに満ちた大集会に訪れた8,000人以上の人々で、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールはびっしりと埋め尽くされました。
ピーター・ホワイトヘッド (Peter Whitehead) の粗い画像の映画、Wholly Communion(ホーリー・コミュニオン:聖餐) は若きホロヴィッツの演技を映し出します。観客の中にリサージェンス誌の創立編集長であるジョン・パップワース (John Papworth) がいたのではないかとホロヴィッツは思っています。
パップワースとホロヴィッツの二人はその後かなり時を経てから出会い、パップワースはアルバート・ホールでのイベントについて夢中でホロヴィッツに語りました。「ジョンは彼のフランス人の妻、マーセル (Marcelle) と住むネバーン・ロード【Nevern Road:ロンドン西部のアールズ・コートにある通り】のパーティーに私を招待したんだ。マーセルは、ジョンの自由主義者の思想を共有していた。私はすぐに、ジョンが自分と相通じる精神の持ち主とわかったんだ。」とホロヴィッツは振り返ります。「私と妻のフランシスはすぐに彼らの良い理解者になった」。
「ジョンの目には、ほとんどいつも大きな輝きがあった。そしてとても率直だった。彼の話声はよく悲しげな調子を帯びた。不幸せな、でもどこか神に見放された世界を熱く望んでいる者のようでもあったんだ。ディベートをこよなく愛していた。今日で言えばコントラリアン【contrarian:人と違うことばかりする人】と呼ばれるような人だった。荒くれ者の反抗者でもあったが、人を集め、熱意を生み出す多くの知恵と才覚があったんだ」。
それは、その後度々訪れた素晴らしい夜の最初でした。「彼らはとてももてなし上手で、美味しい食事を振る舞ってくれた。それに、世界に平和をもたらして、より良い場所にする刺激的なアイデアを携えて訪れては去っていく、多くの面白い人たちを知って(も)いたんだ」。ホロヴィッツは当時を思い出して微笑んでいます。
アルバート・ホールでの大集会は、「スウィンギング・ロンドン」とあだ名がつけられた(次の年のタイム誌で)一時代の急進的な側面を生み出す一助となりました。徐々に新しい雑誌の構想が形になり始めました。
「私の時代の感覚はざっくりとしているのだが、」とホロヴィッツは前置きして、「多くの集まりやパーティーがあり、多くの人たちがいた。次第に大物がまだ沢山現れた。フリッツ・シューマッハー (Fritz Schumacher) やレオポルド・コール (Leopold Kohr) やハーバート・リード (Herbert Read) のような。彼らは、初刊(リサージェンス誌の)の主な構想を立てた中心的グループとなった。アフリカで苦しむ人達を助けたいという強い思いを持っていたレブ・マイケル・スコット (Rev Michael Scott) もそうだ」。
「こうした集まりの一つで、それは美味しそうな素晴らしい食べ物や飲み物がたくさん並べられた中で、ジョンは短いスピーチをした。彼はよくスピーチの場を与えられたんだ。ジョンは、そのスピーチの中で、リサージェンス誌を間もなく形にしてみせるという固い決心をした」。
1966年5月、初刊のリサージェンス誌のために、ホロヴィッツはアルバート・ホールで吟じた詩、For Modern Man (1914–1964), R.I.P. (現代の男よ:1914年生1964年没、安らかに眠れ) を寄稿しました。ホロヴィッツは私のためにもう一度その詩を読んでくれました。私的であり政治的でもある詩。家族も自身の世代も戦争の怖さを知る男の叫びの詩。この詩が平和・反核活動家でもあったパップワースの心を打った理由が良くわかります。
この詩を寄稿して以来、リサージェンス誌がラジカルな出版分野で地位を確立していく中で、ホロヴィッツはリサージェンス誌を近くで見守り、あるときは出版作業に協力したこともありました。1970年代には、リサージェンス誌とニュー・ディパーチャー誌の共同発行さえありました。ある批評家は非情にもこう評しています。「前衛アートのアバンギャンルドな季刊誌の一つ。運が良ければ4年毎に発刊される・・」
「いい考えだと思ったんだ。共同発行は、ニュー・ディパーチャー誌の別冊を発行できるという意味があったからね。」ホロヴィッツは当時を思い出してにっこりと微笑みます。詩と既存政治に代わる新しい政治のミックス、共同発行誌は、今日のリサージェンス誌を特色づけるものです。社会正義、芸術、環境と平等、地域と国際性、これらについてのアイデアを同じ誌面上で語りたいということです。おまけに、パップワースは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコへの公開書簡を盛り込みました。
50年が経ち、ホロヴィッツはまだリサージェンス誌を愛読しています。彼自身も現役で出稿しています。ある大英帝国 4 等勲爵士は、2002年に、ホロヴィッツの文学に対する功績を認めました。2007年の作品 A New Waste Land: Timeship Earth at Nillennium(新たなる放棄された大地:XXXX年の地球へ時空を超えて)は、平和と地球環境への侵襲を公然と批難した、特筆すべき詩の政治的展開です。脚本家のトム・ストッパード (Tom Stoppard) は、この作品を「重篤な未来の真実の姿を切り取ったスクラップブック且つ詩集」と呼びました。2011年には、ホロヴィッツは電子版の詩集Emergency Verse: Poetry in Defence of the Welfare State(緊急詩:社会保障制度を守る闘いの中で)に寄稿しました。彼の活動は継続中で、演劇巡業も行っています。多くは、彼の劇団ウィリアム・ブレイク・クレスマトリックス (William Blake Klezmatrix) と共に活動しています。彼が自分で組み立てた「アングロサクソフォン (anglosaxophone) 」の音色を、自身の詩に添えています。彼が現役のうちに、足を運んでみましょう。
驚くべきことに、ホロヴィッツと私のティーカップは崩れ落ちるかと思われた紙の襲来を免れました。中身は冷めてしまっていましたが。しかし、私が帰ろうと腰を上げたとき、ホロヴィッツはグラス代わりにティーカップを乾杯のためにかかげます。詩人ブレイクの作法ふさわしく、半世紀前、誌上始めての詩を彼が寄稿した、リサージェンス誌のために。
「リサージェンスに繁栄あれ!
その力により、
永遠の、
精神の闘い、
そして世界平和をもたらさんことを!」
この文章の締め括りにふさわしい、そしてリサージェンス誌の更なる歩みにふさわしい詩です。
ホロヴィッツが For Modern Man (1914-1964), R.I.P. を朗読している特別録画インタビューは www.resurgence.org/horovitz をご覧ください。
In the Beginning Were the Words • Greg Neale
Poet and campaigner Michael Horovitz recalls the birth of Resurgence
296: May/Jun 2016
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