新しい年の新しい哲学
私たちは、自分だけがよければいいという利己心を超え、お互いさまという考え方を受け入れなければなりません。
みなが関係しています。すべての人がつながりあっています。お互いから作られているのです。
すべての存在は同じ七つの要素から作られています。地、空気、火、水、空間、時間、そして意識です。これらの要素はすべて
互いのために存在します。どの要素もそれだけで存在することはできません。根本的に命は調和し、百万通りの姿で生成しています。
調和と多様性は永遠のダンスです。物理学は、すべてが究極的には、素粒子と波動と呼ばれる一つのエネルギーなのだと教えてくれます。
多様性は分割とは違います。分離、断片化、二元論は、永遠が垣間見せる一瞬を認知しているにすぎません。暗闇は光と対立しているように見えます。左は右と対立し、
意識は物体と対立しているように見えます。しかし歴史的な視点では、暗闇と光、左と右、意識と物体(そしてすべてのその他の対立物)は、互いに依存しあい、補完し合っているのです。
中国人はそれを陰と陽の調和といいます。陰の中に陽があり、陽の中に陰があるのです。
もしも世界を見るときに、ホリスティック(全体的)に捉えるなら、私たちは政治的、宗教的、環境的な分裂を一瞬で癒すことができます。
サイエンス(科学)とスピリチュアル(精神性)とアート(芸術)の分裂を、つまりは、手と頭と心の分裂を癒せます。
プラトーは真・善・美の三位一体という考えを提唱しました。この三次元哲学は、ホリスティックな世界観を象徴しています。サイエンス(科学)を通じて真実を探求し、スピリチュアル(精神性)を通じて善を探求する。そしてアート(芸術)を通じて美を探求するのです。だとしたら、サイエンス、スピリチュアル、アートを三つの異なる分野や区画に位置づけることなどできるでしょうか。
同様に、私たちは頭脳で真実について考え、真実を知ります。それがサイエンスです。心で善をはぐくみ善良に生きます。それがスピリチュアルです。そして手を使って美を創造し美と交歓する、それがアートです。
サイエンスとスピリチュアルとアートは一つの連続体です。断絶や分裂はありません。私たちの身体とは、この統一性の完璧な具現なのです。
私たちは7つの要素すべての完全なる調和から生成されます。考え、感じ、作ることができます。私たちは全体なのです。
この全体性、完全性、関連性が、持続可能性への最初のステップです。
心と物の分裂はフランスの哲学者、ルネ・デカルトに始まりました。彼は考えることの優位性について、かの有名な命題で宣言したのです。「我思う故に我あり」
このデカルト派の二元論は西洋哲学と科学の基礎となりました。すべての学校、大学、その他の教育機関で、徐々に知識は分離した科目へと分割されました。
経済はエコロジーについて言及することなく教えられ、政治学は詩と無関係に、科学はスピリチュアルと無関係に、そしてすべての科目は専門家の専門分野になりました。
この伝統は勢いを失わずに続きます。部分の研究は全体性を無視して追及されました。学生は文脈なしに文献を学びました。
人類学抜きに哲学を、神秘抜きに歴史を、アート抜きに天文学を学んだのです。この部分的な教育は、政治、経済、医学、農業、そのほかすべての生活へと広まりました。
世界を国、宗教、政治経済システムによって分割し、人と人以外の自然を分断しました。
その当然の帰結として、度重なる環境、経済、地理、精神の不調和という危機に私たちは直面しています。
さて、ムッシュデカルトにお別れを告げなくてはなりません。世界を全体と相互依存するものとして見るのです。
利己心を超えて、お互いの利益を、互恵関係を、相互依存の考え方を認め合わなければなりません。
この統一の哲学によって、もしかしたら私たちは新たな年を始められるかもしれません。
サティシュ・クマール、リサージェンス & エコロジスト編集長
翻訳: 三国 志織
New Year New Philosophy • Satish Kumar
We must go beyond self-interest and embrace the idea of mutual interest
Issue 208 • September/October 2001
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