TTIP か民主主義か: 両立はできない

新たに提案されたEU米貿易協定につきものの危険性について、マイケル・ミーチャー(Michael Meacher)

「EU官僚の誰かがイギリス国民の同意なしに法を課す恐れがある」それはデイヴィッド・キャメロンかナイジェル・ファラージのことだろうと考えられます。けれどもはっきり言われてはいません。ではなぜイギリス国民は、EUと米国との間で提案された環大西洋貿易投資パートナーシップ (TTIP) に対して、自国の主権を守るために立ち上がらないのでしょうか?

 現在欧州に起こっているデフレの悪循環に対し、TTIPは1000億ポンドにものぼる経済効果をもたらす価値があるとして推進されています。世界貿易機構 (WTO) への加盟により大西洋をまたぐ関税は現在でも非常に低い(約3%)ため、TTIPは自由貿易協定として提示されていますが効果はかなり低いでしょう。しかし、本当の目的は、民主主義やプライバシー、環境と食品の安全性、それに公共調達や知的財産、金融改革を実施する権利を守る規制を奪うことです。危険なことに、TTIPは人々のニーズより利益最優先で運営されている民間企業に公共サービスを譲り渡すのです。

 2013年6月17日に北アイルランドのアーン湖でG8先進国首脳会議が開催され、EUと米国は正式に交渉を開始しました。EU側の交渉の主導は貿易コミッショナーにありますが、コミッショナーはEU 外務評議会 (EU Foreign Affairs Council) が交渉3日前に承認した内容に忠実に従わなくてはなりません。当然、交渉は難航していますが、昨年12月のファイナンシャル・タイムズによると最良でも(見方によっては最悪で)2015年末までに「広い政治的合意」に達する可能性があるとのことです。これから詳細を説明します。

 投資家対国家の紛争解決 (ISDS) というおかしな名前の議論が中心になっています。企業が民主主義を超える力を持つことを危惧している人にとって、これは大きな問題です。つまり、こういうことです。民営化が進むイギリスの国民保険サービス (NHS) で利益を得ている米国の多国籍企業があったとしましょう。その会社が、イギリス政府の今後の動き(民営化への逆行や外注化など)によってその分の利益が減少したり失われたりしたと感じたとしたら、TTIPを理由にイギリスを相手取って民事訴訟を起こすかもしれないのです。3人の貿易弁護士で構成される陪審団の内1人くらいは企業に買収されているかもしれません。もし企業が勝てば(実際には、判決は議長ひとりの判断にかかっています)、莫大な慰謝料が課される可能性があり、上訴する権利も得られないでしょう。

 そんなばかげたことはありえないと思うかもしれませんが、既に起こっていることをよく見ましょう。多くの企業が自分達の商業的利益に反する政策に対し、取引協定を利用して積極的な投資者保護裁判を起こしているのです。スペイン政府は太陽エネルギーに関する政策を変更したことで多くの投資者保護裁判に訴えられています。ドイツ政府はスウェーデンのVattenfall社に投資者保護違反で訴えられ、福島原発事故後に原子力エネルギーを放棄すると決定した際の損失に対し37億ユーロの慰謝料を要求されました。オーストラリア政府は、たばこのパッケージに関する新しい法律が収用に等しいとの主張で、フィリップモリスに同様の取引協定によって訴えられました。

 イギリスにとって最大の危険性は、民営化したサービスを公共に戻した場合、TTIPによって保険サービスを提供する民間企業や米国の投資家たちが政府を訴える新しい権利を持つことです。保守自由民主連立政権 (Conservative–Liberal Democrat coalition) の2012年健康と社会医療条例 (Health and Social Care Act2012) のおかげで、BlackRockやInvescoのようなウォール街の投資家や、United HealthやHCAのような米国の大きな保険会社はNHSに既に多額の投資をしています。現在およそ58億ポンドのNHSの事業が民営化に向けて宣伝され、昨年は14% 増加しました。イギリス政府が今のNHS民営化騒ぎを将来的に公共に戻したら、企業がイギリスで投資者保護裁判を起こす恐れは十分にあります。TTIPのお陰で企業側は、国内法や公明正大な裁判官、抗議、その他の法的手続きという全てと戦わなくてはならない裁判所 (national court) に進むこともなく、審判所 (tribunal) で勝つでしょう。保守党の保健省大臣であるハウ上院議員は、それすらもイギリスの製薬会社にとって良い機会だと正当化しています。NHSから搾取した罪に既に問われている人と全く同じです。

 しかしNHSだけではなく、他の公共サービスも脅かされているようです。現在、遺伝子組換え作物はEUで厳重に規制されていて、EU委員会は他にも特定の成長ホルモンで処理した肉、塩素で洗った鶏肉の輸入および販売を禁止しています。米国は世界貿易機構でこれら全てに異議を唱えています。EUの用心深い姿勢を止めさせ、より曖昧なリスクアセスメントの姿勢にすることで、TTIPが農薬の規制を下げる可能性も指摘されています。もう1つは政府の調達市場に関する議論です。また、2012年の欧州議会で、インターネット上の検閲につながりプライバシーを妨げるという理由で猛反対された偽造品取引の防止に関する協定 (ACTA) を、TTIPが不正に再燃させるのではとも言われています。

 では、このように不利で不評な結果になるTTIPに、なぜEUはISDS条項を編入することすら考えているのでしょうか?なぜそもそも必要でもない外国の仲裁を受けるのでしょうか?EUの交渉責任者であるイグナシオ・ガルシア・ベルセロ (Ignacio Garcia Bercero) は、「例えば契約の解約条件に関して、加盟国が適切な各国法とEU法を尊重することが既に求められている。」と述べています。先ほどの問いに対する答えは、ISDSは世界のいかがわしい地域で活動する投資家を保護する意図があるということです。2013年11月、イギリスの閣僚であるケネス・クラークが「控えめに言っても、投資者保護は法の原則が不透明な国に投資する企業を支えるためにできている」と宣言しました。それではEUにはほとんど適用されません!ISDSは破綻した国からビジネスを守るより、民主主義からビジネスを守るつもりのようです。

 まだ信じられないなら、カナダで起こったことを見てみましょう。カナダと米国で危険な毒素と考えられているMMT(メチルシクロペンタジエニルマンガントリカルボニル)を製造しているエチルコーポレーションは、カナダ政府がMMTを禁止したことで政府を告訴。カナダ政府は多額の慰謝料の支払いを余儀なくされ、MMTを解禁しました。例は他にもあります。イーライリリー社は医薬品2種を無効とした判決を巡ってカナダ政府を告訴。世界の他の地域では、鉱業会社が環境保全地域から政府を排除するために、銀行が金融規制に反対するために、大手石油会社が石油流出管理の対策を無効にするために、ISDSが使われてきました。経済協力開発機構 (OECD) によると、2013年には57件の政府に対するISDS告訴があり、その内ほぼ半数は先進国でした。

 一体なぜこうなったのでしょうか?婉曲な言い回しEU-米国間パートナーシップは、最初から企業の有力者や、有力者たちによる活動的なロビー団体が「共同立案」できると自慢し、実権を握ってきました。このことは、EU委員会がTTIPに関して市民団体と8回の会議を行ったのに対し、企業や企業のロビイストとは119回もの会議を行っていたことからも明らかです。しかも、企業との会議は密室でインターネットにも公開されずに行われています。

 成長と雇用という大きな利益があるから、否定的な面ばかり考えなくて良いのでは?と思うかもしれませんね。ここで、過去の例を見てみましょう。元米大統領ビル・クリントンは、北米自由貿易協定 (NAFTA) は米国に20万の雇用を創出すると20年前に約束しました。それどころか、NAFTAは68万人の雇用を奪ったのです。米国の貿易収支を安定化させるはずが、実際にはかなりの貿易赤字につながりました。思いがけない結果をもたらした貿易協定は他にもあります。オバマ大統領は、2012年発効の米韓自由貿易協定は100億ドルの輸出増額効果があると約束しましたが、すぐに35億ドル減少。オバマ大統領は7万人の新たな雇用につながると言いましたが、4万人が職を失う結果になりました。対韓国の貿易赤字は改善せず、50%悪化。今度の約束は信頼できると言えますか?

 しかし、TTIPは既に決定したという意味ではありません。まず疑問はTTIPが「共同権限 (mixed competence)」の協定かどうかということ。つまり、EUの権限外の要素が含まれているために、組織の伝統に従ってEU委員会と28の各加盟国の両方が承認する必要があるのかということです。EU委員会は、TTIPは確かに共同権限の協定だという見方をしているようです。その場合、TTIPは国の承認が必要な条約としてイギリス国会に勅令書が提出され、条約の承認は正式な手続き (secondary legislation) を経て進められるでしょう。議会の前に命令案が委員会にかけられ、上院と下院の賛成の下で承認。しかし、危機的なことに、国会では条約を修正することは一切できません。国際条約法により、条約の草案文面は交渉の過程でのみ修正が認められ、個々の政府や国会が承認手続きの途中で修正してはいけない決まりです。

 つまり全ての加盟国がTTIPを拒否できるのです。英国の場合、条約が発表されて21日間に、承認を正当化しなければならない法律に反対投票することでも、条約に関する討論での承認に反対投票することでも、国会はTTIPの承認を中断することができます。更にその後条約が討論されていれば、反対投票し続けることで承認は停止します。これは新政府の下で今年後半の重大な決断になるでしょうが、国中で高まってきた社会運動と政治運動の影響力は大きいでしょう。準備はいいですか?

マイケル・ミーチャーは1970年にオールダムウエスト選挙区から労働党の国会議員として初選出。その後1997年から2003年まで環境大臣を務めました。

翻訳:國屋 真由美

TTIP or Democracy? • Michael Meacher

The dangers inherent in the proposed new EU-US trade agreement

290: May/Jun 2015

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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