根を張り実をむすぶ

ヴァンダナ・K がインドのヒマラヤ山脈にある、女性生産者の共同体を訪ねる。

翻訳:浅野 綾子

 身の引き締まるような、ナイニのある冬の朝のことです。ナイニは、インド北部のウッタラカンド州にある小さな村で、雪に覆われたヒマラヤ山脈を見渡すことができます。マヒラ・ウマング生産者会社(Mahila Umang Producers Company)では、すべての作業が滞りなく行われていました。青いドアのついた、小さな白い小屋では、ラダ(Radha)がカモミールの重さを量ってティーバッグに詰めています。隣の小屋ではカラ(Kala)がハチミツの瓶詰めをしています。ちょっとした上り坂の場所では、シェイナー(Shehnaz)とバサンティ(Basanti)が、後でジャムに加工するために大量のキウイの皮をむいています。付近のマカリ村では、少人数の女性グループが輪になって座り、日の良く当たる中庭で編み物をしています。

 ここ 2、30 年の間に、ヒマラヤ山脈の地域では森林破壊が広がり、人口が増え、都市化が進み、ダムの建設が進んで環境が汚染され、生態系は脅かされてきています。こうした状態は気候変動の影響を受けやすくします。1992 年、アニタ・ポール(Anita Paul)と夫のカルヤン(Kalyan)は、再生エネルギーや林業、水質保全を促進することによって、山林地域で持続可能な開発に取り組めるように、パンヒマラヤン・グラスルーツ開発財団(Pan Himalayan Grassroots Development Foundation)を創設しました。この団体は「グラスルーツ」とも呼ばれています。

 かつて小さな山々では、住民は皆、家族を養うために天水棚田で在来種の穀物を育てていましたが、農薬が導入され、何度か極端な気候に見舞われたことと相まって、収穫が減りました。人間と野生生物が衝突する出来事が頻繁に起こったことも、農業を魅力のない職業にした一因です。貧困、仕事が無いこと、病院や道路などのインフラが整備されていないことが原因で、多くの人が仕事を探すためにウッタラカンドから都市への移住を余儀なくされています。ほとんどの場合、都市へ移り住むのは男たちで、家族の世話は女たちに任されます。結果として女性の仕事は倍に増えました。

 2001 年、グラスルーツの女性メンバーの一部は、「マヒラ・ウマング・サミティ(Mahila Umang Samiti)」という名の別の団体を設立して事業を拡大することに決めました。その目的は、女性の生計手段を増やすことでした。2009 年、最終的にメンバーは、この団体を、「マヒラ・ウマング生産者会社」として登録しました。「ウマング」とも呼ばれています。

 マングの会員数は 2,354 名で、161 の自助グループから集った、農村地帯の女性で構成されています。この自助グループは、ウマングのサプライチェーンです。これらの女性のうち、38 パーセントがこの会社の株主になっています。ウマングで行われる仕事は、生態系と生活手段と女性の暮らしは密接に関わり合っているという理解に根差しています。自助グループはメンバーに少額融資を提供し、メンバーが生産した有機食品やニットウェアの販売先を見つけることでメンバーの収入につなげています。

 ラニケトの小さな町からナイニへとつながる、曲がりくねった道を移動すると、ハウス・オブ・ウマングの建物が黙っていても目に入ります。この白い建物の 1 階は、食品加工施設と貯蔵室になっています。上の階は、先住民族の食べ物と上質の手編み服を販売する、広々とした店舗になっています。店舗の裏には、ウール製品を保管し、ファブインディアやジャイプル(Jaypore)のようなインドのファッションブランド店に発送作業をする部屋があります。ウマングでは商品をオンラインや、インドの大都市の小売業者を通しても販売しています。2019 年から 2020 年の収益は、1,639 万 7,900 ルピー(161,716ポンド)でした。。。

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Roots and Fruits • Vandana K

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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