成長することのジレンマ

経済成長の代わりになるものがあると、ブレンダン・モンタギューは書いています。

翻訳:馬場 汐梨

成長 — 経済成長 — はますます私たちの会話を占めるようになっていくでしょう。世界は歴史的な不況で危険な状態にあります。ブレグジットが支持されましたし、英国の成長への影響という観点から評価されるでしょう。有限な地球での急激な成長による危機は今やよく理解されています。

 しかし、経済成長とは何か、それは必要なのか、代替手段はあるのか?今後何年も取り組む必要のある難題があります。成長とは完全に前向きで自然なことのように聞こえます。自然の喜びはその豊かさ、その多様性です。個々に目を向ければ、一人の人や一匹の毛虫には、成長というのは生涯の喜びの 1 つです。

 経済成長は資本主義の大きな紛争を解決することを約束するものです。投資家は自分の資金にリターンを受けることができ、他の人たちは毎日の生活を改善する恩恵を受けることが出来ます。もはやパイを争う必要はありません。なぜなら毎年パイが大きくなるからです。しかし現実はもっと複雑で、もっと恐ろしいものです。成長が全体として必要なものであると信じることそのものが、気候の破壊を推進するからです。

 明白に成長を必要としている人たちもいます。投資家です。すべての投資家は自分の投資に対するリターンを欲しています。そういう訳で、彼らはベンチャー事業に自分のお金を賭けているのです。このリターンはたいてい利子という形をとります。私たちはローンを組んだりクレジットカードを使ったりする時に利子を求められて受け入れています。

 投資に対する利子は複利で支払われ、つまり指数関数的に増えます。簡単な例です。投資家が 1 年に 100 ユーロを前払いする。彼女は 10% の利子を、つまり 10 ユーロのリターンを期待します。2 年目には、同じ投資家が合計 110 ユーロを前払いします。そして同じレートで 11 ユーロのリターンを期待します。9 年後、彼女は元々の投資額を倍にします。彼女にとってはうまい話です。

 問題は、それぞれの投資は利子のリターンを得る為に、経済活動をかき立てることを必要とするところから起こります。私たちは経済活動と環境への影響を分離することができていなかったことを、今はわかっています。このことは、10 年後には私たちの投資家の環境への影響も 2 倍になるということを意味していて、これは炭素排出や森林伐採や殺虫剤の使用という形で表れることでしょう。

 そして、100 ユーロだけの一人の投資家ではなく利子を求める膨大なドルが世界中に溢れているため、この問題は地球規模になっています。これらのお金は国境を知らず、政府や企業は最もよいリターンを投資家に提供する地球規模の競争に陥っています。これは環境や人間の健康を犠牲にした、底辺への競争です。

 ではその他の人々は経済成長を必要としているのでしょうか?マーガレット・サッチャーはこれ以外に選択肢はない(TINA: There Is No Alternative)と主張し、TINA は彼女の影響の多くを留めています。しかし、成長そのものは私たちに不要というだけではなく、極めて危険なものであるという認識が徐々に高まっています。成長は癌です。

 この主張は皮肉なことに、資本主義そのものによって確証されています。世界の不況の恐れが、0 以下の利率の投資にお金が流れることを意味してきました。ローンを終える時に銀行があなたに支払うローンを組める国もあります。投資家は、さらにお金を失わないことが保証されている限りは、少しのお金なら喜んで失うことを選びます。

 利子を要求しない経済では国家も行為者になり得るでしょう。国家は国際市場で極端に安い利率、おそらくただであっても借り入れをすることができますし、その現金をさらに無利子で地域のコミュニティに前貸しすることもできます。利益はありませんが、有権者は職を含めてよりよい生活を味わうなど、たくさんのものが得られるでしょう。

 私たちは分配しなおすことができます。大金持ちに課税してそのお金を最も必要としている人に与えることができます。これらは世界共通のベーシック・インカムとして人々に支払えることでしょう。過去には家族税額控除(Working Families Tax Credit: 低所得者向けの控除)という形をとりました。その税金は教育、学校や病院に充てることもできます。投資家は商品やサービスを売ることでまたこれらのお金をかき集めようとすることに集中することができます。

 脱成長という選択もあります。これは世界経済を、わざとすぼませたり、縮ませたりして、経済活動の量を減らすということです。食べ物や住居、医療サービス等の必需品は改善したり拡張したりすることでしょうが、車や iPhone の生産は少なくするでしょう。経済活動を減らしても私たちはより幸福になれるでしょうか?収入が減ることなく週 3 日働くことを想像してみてください。

 質問はこれに尽きます:私たちは社会を、億万長者の投資家を満足させるために、生産 - 消費の歯車を回し続ける広告産業によって作られるマウスウォッシュやスマートウォッチ等の人工的な「必要なもの」より、本当の富 — つまり自由な時間や繋がり、創造的表現等 — に集中させるべきかということです。

 その答えはある種の経済学です。しかし明らかに哲学的で政治的でもあります。そのような移行は世界規模で個人やコミュニティ、社会に対する大きな変化を伴うことでしょう。その変化が望ましいものだとしても、それは実現可能でしょうか?そして誰がそのような変化を起こす主体となるでしょうか?これらの発想を以降のページで見出していきます。

ブレンダン・モンタギュー (Brendan Montague) はエコロジスト誌の編集者です。www.theecologist.org

317: Nov/Dec 2019

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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