あり方(生き方)としてのアート
サティシュ・クマールは、ニューデリーで、人生を肯定してくれる、本当に協働的なストリート・アート・プロジェクトを祝福している。
翻訳・校正 :林田 幸子・沓名 輝政
デリー滞在の最終日、友人のスニル・マルフォートラが周辺のロディという地域の野外アートギャラリーを見に行かないかと誘ってきました。私は「はい」と答え、私たちは、住宅の壁に描かれた素晴らしい色彩と美しいイメージに感嘆しながら、通りを次から次へと訪れて朝を過ごしました。
2015年、世界中から集まった50人の熟練したアーティストたちが、デリーの普通の壁をこのような特別なアート作品に変え始めました。それ以来、彼らは人々にアートを届けるだけでなく、5平方マイルに広がるこの密接なコミュニティのストリート・ライフを活性化させることにも成功しているのです。
スニルが最初ストリートアートの話をしたとき、私は興味を持ちました、しかしそのスケールの大きさを全く想像することができませんでした。それは、ストリートアートというより、その地域全体のアートです。聖なる牛や蓮の花など、伝統的なインドのアイコンの芸術イメージを見たのです。古典ダンサーの装飾された顔、村の女性たちのその土地固有の文化、そして素晴らしい赤色をしたラブ・ツリーを見ました。絶滅の危機に瀕した動物の窮状を訴えたり、地球温暖化による差し迫った大災害を警告するエコアートもありました。政治的な漫画もあれば、極楽の境地の道を示すスピリチュアルな像もありました。
これらの芸術イメージの多くは、ある意味と目的を伝えています。自然、生命、愛は世界中の芸術の永遠のテーマであり、デリーの片隅にあるこの描きたての珍しい落書きも例外ではありません。唯一の違いは、主流のアートの多くが警備員に守られた閉ざされたドアの向こうに隠されているのに対し、この通りやコミュニティでは、アートは生活の一部であるということです!
アートは単なる装飾でも、娯楽のためのかわいい絵でもないのです。デリーのこの地域では、アートは物語を語り、メッセージを伝え、私たちの文化の現代的な問題に人々を巻き込んでいるのです。
スニルは、このような美と美学を日常生活に取り入れるプロジェクトは、地元住民、政府機関、20カ国以上の外国大使館によって支援されていると説明しました。これは、国と地域社会、アーティストと当局、企業と市民との創造的な協同制作の一例であり、St+アート・インディア財団(St+art India Foundation)によって行われています。これはギフトエコノミーの良い例です。アーティストたちは時間と才能を寄贈し、企業は絵の具や絵筆を寄付します、そしてその他にもさまざまなところから多くの贈り物が寄せられています。
先見の明のあるアート活動家たちは、次のような夢を抱いていました、それは美術館やアートギャラリーの枠からアートを解き放つという夢です。彼らにとってアートとは、単なる商業商品ではなく、またそうあるべきではないのです。こういった型にはまらない斬新なアーティストたちは、アートは日常的な活動の一部である必要がある(そしてそれに値する)と信じています。美術館には1日に数百人の来館者が来ますが、その人々は、アートを娯楽の対象として、あるいは学問の対象や金銭的な投資や社会的地位の象徴として見ています。ただそれとは対照的に、デリーの革新的なストリート・アーティストたちは、毎日、あらゆる場所で、誰もがアートに親しめるようにしたいと考えています。何千人もの人々がこういった通りを歩いてアートを見るのです、そして誰もチケットを買う必要はないのです!
これは、先住民たちが家の壁を見事な壁画で飾っていたインドの伝統的な農村文化の現代版です。彼らにとってアートは生活に不可欠なものでした。彼らの衣服、靴、道具、鍋やフライパン、その他日常的に使うものは、愛情を込めて、よく作られ、手作りで、長持ちし、五感を喜ばせるように作られていました。彼らの持ち物はすべて、素晴らしいBUDの原則「美しく(Beautiful)、便利で(Useful)、耐久性がある(Durable)」に従わなければならなかったのです。彼らにとってアーティストとは、特別な人ではなく、すべての人が特別なアーティストだったのです。
職人の食べ物や職人の服は何も特別なものではありませんでした。アートは在り方(生き方)だったのです。彼らは、足があり、歩くことができれば、踊ることもできると信じていました。声があれば、話すことができれば、歌うことも学ぶことができます。手があれば、書くこと、絵を描くこと、彫刻することを学ぶことができるのです。
先住民は、人間ひとりひとりに創造的で想像的な潜在能力が備わっていると信じています。私たちはみんな、創造力を養い、想像力を伸ばすことを学ぶ必要があるのです。それはすべて、私たち一人ひとりの中にあります。私たちは想像力を買うために店やスーパーに行く必要はないのです。つまり、私たちは生まれながらにして想像力を持っており、それは、しばしば眠ったままの状態で、私たち全員の中にあります。私たちの挑戦は、その生まれながらの想像力を目覚めさせ、開花させることなのです。
先住民にとってアートは単なる娯楽ではありません。単なるパフォーマンスのためではありません。商業商品でもありません。彼らにとってアートとは、人生を謳歌し、創造物に感謝し、人々に祝福をもたらし、コミュニティと文化を築くための方法なのです。アートとは、世界を再び魅了し、神聖な感覚を呼び起こすためのものなのです。
アートを美術館から通りに持ち出すことで、デリーのこの小さな一角は、新しいやり方を示しています、それは同時に古いやり方でもあります。こういったストリート・アーティストたちは、アートを市場や美術館から持ち出し、私たちの生活や通りに導入しているのです。私の願いは、この人々のアートが、単なる消費者ではなく、アーティストで作り手であるすべての人を活気づけることです!
サティシュ・クマールは『エレガント・シンプリシティ』の著者です。
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