変わるという勇気
私たちは、ある場所、ある考え、ある経験から別の経験へと移行することなしに変化することはできない。本号のテーマは「しきい値の場所」だ。しきい値の場所とは、目に見えず、しばしば気づかれない場所であり、変化はすでに進行しているが「かつて」はまだ終わっておらず、「これからなるもの」はまだ到着していない場所を意味する。
そこが魔法の起こる場所だ。しかし、このような空間をナビゲートすること、つまり変化には、私たち全員の勇気が必要。そしてそれ以上に、信念の共有と深い信頼が必要なのだ。
ある意味、本号に掲載されたすべての記事は、しきい値が迫っている、越えている、あるいは交渉に成功したことを、何らかの形で浮き彫りにしている。環境保護団体 Extinction Rebellionの運動の共同創設者であるゲイル・ブラッドブルック(Gail Bradbrook)は、『スロー・リーディング』のコーナーで、活動家の世界における限界的な場所、そして、限られた注目から主流への認識へと大きなしきい値を越えた運動が、まだ別のしきい値を越える必要があるかもしれないことを探求している。
インドのストリート・アートを再発見したサティシュ・クマールは、その喜びの中で、ほとんどのアートを屋内で、何十センチか下がった場所で、声を潜めて鑑賞しなければならないという敷居を越えることが、いかに人生を肯定するものであるかを讃える。そしてメインテーマでは、アイルランドの詩人であり哲学者でもある故ジョン・オドノヒュー(John O’Donohue)の考えを紹介し、なぜしきい値がとても重要で勇気を必要とするのか、そして他の作家たちと2つの大きなしきい値や通過儀礼である誕生と死について探っていく。
よあくること。あるものが来て、別のものは去る。季節の変わり目ほど、温暖な気候の自然界でそれが顕著に表れることはない。日本では今、桜の季節だ。桜は目を見張るような美しい光景であり、それを鑑賞し祝うために、桜の下に集まり、ピクニックをする習慣は「花見」と呼ばれている。
人々は、桜の美しさと生命力に驚嘆するだけでなく、今日ここにあるものが明日には消えてしまうという万物のはかなさを認識するために、それぞれの地域に集まるのだ。そして、その文化において桜は、死と共存する生、暴力と共存する美、憎しみと共存する愛という絶妙な矛盾を象徴している。
先日、ウェイクフィールドのヘップワース・ギャラリーへ、アフリカ系アメリカ人アーティスト、シルヴィア・スノーデン(Sylvia Snowden)の展覧会「Painting Humanity」を見に行った(11月3日まで公開)。私が考えているのは、それは、人間性(そして地球と私たちが共有するすべてのものとの関係性)を、時には小さく、時には素晴らしい寛大さで、そして何よりも、私たちが重要なものを見いだし、できれば尊重する能力を持つことだ。
スーザン・クラーク
リサージェンス&エコロジスト誌の編集者
(翻訳校正:沓名 輝政)
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