動き続ける私の人生

今号の特集「歩くこと」にかけて、サティシュ・クマールが自身の経験を語る

「歩くこと」が隠喩であるように、「活 動」もまたそうなのです。私たちが歩く時、 理想と現実を調和させ、机上の原則を現実 のものとします。ニーチェがかつて言った ように「真に素晴らしい思考は、すべて歩 く間に生み出される」のです。 

 そのような思考と逍遥学派の哲学者の学 び場との間には、絶対的な繋がりがあるの です。神学者は修道院の中庭沿いに回廊を 設け、また教会や大聖堂の内部には、信仰 の神秘や形而上学の存在に関する、勉学や 瞑想の合間に逍遥できるスペースがありま す。巡礼者は己の足で神聖なる旅を続け、 神への道を目指します。彼らは聖なるヒマ ラヤの山頂を歩き、また神聖なる河川の合 流点や、預言者、詩人、神秘主義者の集う 場所へと向かいます。巡礼者にとっては歩 くという行為そのものが、目的地への到達 と同じくらい意義深いものなのです。 

 環境、社会、政治問題における活動家た ちが、汚染、開発、不正行為を続ける権力 に立ち向かう際には、デモ行進を行います。 マホトマ・ガンジーが発起した海岸までの 「塩の行進」や、マーティン・ルーサー・ キング・Jrが「I have a dream(私には夢があ る)」で知られるスピーチを行った頃に決 行されたワシントン内のデモ行進は、政治 的な反抗を示す活動であると同時に、スピ リチュアルな悟りのためでもあるのです。 これまでに幾多もの人々が植民地主義や 人種差別、性差別、資本主義、共産主義そ して軍国主義を終結させるために歩いてき たのです。ベビーカーに我が子を乗せた母 親や、障害を持った車椅子の急進派が、貧 困や虐げにあえぐ様々な年代のカルチュラ ル・クリエイティブスと呼ばれる生活創造 者と共に、自分たちの結束を証明するため に歩いたように、多様な国籍や政治的党派 の人々も持続可能性、スピリチュアリティ、 正義、平和、自由、人権、そして地球自身 が持つ権利を支持することを宣言するため に歩くのです。

 私の師でメンターでもあるヴィノーバ・ バーヴェ(Vinoba Bhave)も正義の名の下に 15年以上もの歳月をかけ、インドの縦横16万キロ以上もの距離を歩き、豊かな土地所 有者に対し、土地を所有しない労働者と彼 らの土地を分かち合うよう説得していまし た。彼が土地所有者たちの心を開き、162億 平米もの土地をギフトとして受け取った 上、土地を奪われ、貧困に陥った人々に分 け与えたことは、奇跡だったと言えるでしょ う。彼の歩みが触発し、感銘を与えたから こそ、所有者たちは土地を手放すことにし たのです。 

 私の母も偉大なる「歩く人物」でした。 母は我が家のあるラージャスターンから1 時間ほど離れた場所に、小自作農地を持っ ていました。その農地に移動するのに、母 はいつも歩いて行っていたのです。我が家 には馬もラクダもいましたが、彼女は一度 として動物たちに乗ろうとはしませんでし た。私たちの宗教的伝統であるジャイナ教 には、動物を尊重し、不当な苦しみや重労 働を課してはならないという教えがあるの です。 

 もし誰かが馬に乗るように提案したら、 母は笑ってシンプルにこう答えたことで しょう。「もし馬があなたに乗りたいって 言ったらどう思う?」こうしたことにより、私は歩くことを全く苦もなく受け入れまし た。母が農地へ行くならば私も歩いて一緒 に行きましたし、他のどの場所でも同じで す。母は歩きながら、物語を話したり、歌 も歌ってくれました。また、彼女は多くの 人々が当然のように思っている自然の奇跡 というものを見つめていました。歩くこと は、私の母にとっては、楽しみと喜びの源 だったのです。 

 そして、そのことは私にとってもそうで した。私は幼少期にジャイナ教の僧となり ました。9年間は裸足で歩き回り、自動車、 電車、飛行機やボートはおろか、自転車さ え使ったことがありませんでした。私の両 足は横幅が増し丈夫になりました。砂や小 石の上を歩き、暑い時も寒い最中も、靴下 やサンダル、または靴もなく過ごしました。 しかし、私はバラの花びらの上を歩んでい るような心持ちでした。師は私にこう言っ たのです。「あなたを背に乗せてくれ、そ の上を歩かせてくれている地球への感謝を 実践しなさい」と。師はこれにより私に地 球に対するスピリチュアリティを教えよう としたのです。 

 「人は地球を耕し、蹂躙し、彼女の体に 穴を空けるが、それでも地球は人々を赦し ている。さらに寛大であるが故に、あなた がひとつの種を植えれば千もの果実で返し てくれる。そのような地球の無条件の愛に ついて瞑想し、自分自身の人生において同 じような慈悲、寛大さ、赦しを実践するの です。」 

 私はジャイナ教の修道会とはその後、袂 を分かつことになったのですが、歩くこと への愛は今でも持ち続けています。ですの で、1960年初頭に友人であるE.P.メノン (E.P. Menon)と共にニューデリーからモス クワ、パリ、ロンドン、ワシントンまで歩くことを思いついた時、一瞬の躊躇もなくこのアイディアに飛びつくことが出来たの です。私たちは1万3千キロもの距離を一銭も持たずに歩き、平和を祈願しました。この時私は、世界に平和がもたらされるか否 かに関わらず、歩くことを介して私自身に 内在する平和を見いだすことが出来たので す。 

 私は自分を信頼すること、見知らぬ人々 を信じること、世界を信じることを学びま した。自信としなやかさを手に入れたので す。私は未知なるもの、未計画、また不確 かなものに対する恐れを手放すことが出来 るようになりました。また、山々や森、砂 漠を同じくらい愛することが出来るように なりました。風も、雨も、雪も、太陽にも すべて同じように感謝しています。敵対や 歓待にはユーモアや受け入れで応じました。 私は何も期待することなく、またすべてあ るべきままに受け入れることを学びました。 期待のないところに失望は生まれないので す。歩くことは私にとって自己実現の糧と なりました。これにより、歩くことはA地 点からB地点への移動手段だけに留まらず 生き方そのものであり、健康、調和、幸福 への道へと昇華したのです。 

 私は50歳の頃、ブリテン諸島周辺へ巡礼 の旅に出かけました。デヴォンを出発しサマセットとドーセットを訪れた後にカンタ ベリーの巡礼街道へ向かい、村から村へ街 から街へと、美しいイギリスの景色を堪能 しながら訪ね歩きました。その後、東海岸 に臨みケルト族の聖人たちが古来、海水に 浸りながら立ち、自然に対する瞑想を行っ た「聖なる島」リンディスハーンに到着し ました。 

 私はスコットランドを横断し、これまで 訪ねた場所の中で最も平和的な場所の一つ である、アイオナ島へと辿り着き、その後 西海岸沿いにウェールズへと下り、西南地 方を経由しエクスムーアを訪れた後に、自 宅のあるハートランドへの帰路につきまし た。それは期間にして4ヶ月以上、3千キロ もの冒険でしたが、行く先々で様々なバッ クグラウンドの人々から歓待を受け、それ を楽しみました。私はポケットに一切の金 銭を持たずに歩いていましたが、道中出会っ たごく普通の男女(多くは初対面の方々) が持つ、純粋な寛大さと徳により生まれる、 多くの奇跡を目の当たりにしました。 

 今年私は80歳になります。歩いてきたこ とに感謝するべきですが、体力、熱意、情 熱のどれも衰えていません。これまで一度も、何らかの形での抗生物質を摂取するこ とも、ただ一度だけ、BBCの「地球巡礼 (Earth Pilgrim)」の撮影で、歩いている最 中にくるぶしを骨折した時を除き、入院す ることもありませんでした。 

 皆、私にこう聞くのです。「あなたの健 康の秘訣は何ですか?」と。それに対する 私の答えは明瞭かつシンプルなものです。 ただ一言だけ、「歩くこと。」歩くことは 自分の体にも、心にも、魂にも良いことな のです。私は毎日1時間程度歩くようにして いるのですが、もしそれが出来ない場合は 食事の後に、健康のために散歩することに しています。歩くことで消化を助け、リフ レッシュし、心を落ち着けることが出来ま す。私の歩くことへの賞賛は、言葉では十 分に言い表せない程です。私は、固執し、 留まるよりも動き、巡っていくことを選び たいのです。

サティシュ・クマールは「No Destination: Autobiography of a Pilgrim (Green Books)」の 著者。

翻訳: 齋藤 未由来

My Life On The Move • Satish Kumar

The spirituality of walking



295: Mar/Apr 2016 

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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