地球との平和を作る

サティシュ・クマール (Satish Kumar) は私たちの連載記事に寄せ、世界の主要な宗教やその 環境教育を見つめる上で、少年期 の独特な宗教体験、ジャイナ教に ついて伝えます。

 インドには、4つのメジャーな土 着の宗教であるヒンズー教、仏教、 シーク教、ジャイナ教があります。 また、外国から渡来しインド人の 生活に大きく貢献した4つの重要な 宗教であるキリスト教、イスラム 教、ゾロアスター教(パーシーの 宗教)、ユダヤ教もあります。こ れらインドの8宗教の中でもジャイ ナ教は、おそらく知られていませ ん。世界のジャイナ教人口は約400 万人のみですが、そのほとんどが インド国内在住です。 

 ジャイナ教において、最も気高 く最も深遠な原理は「非暴力」で す(Ahimsa: 不殺生)。これはすべ ての思想・スピーチ・行動におい て全体的で総括的な非暴力の原理 です。そして、自己に対しての非暴 力、他者に対しての非暴力、自然 に対しての非暴力を意味します。 もちろんジャイナ教徒は、完全な る非暴力は不可能であるというこ とがわかっていますが、自分自身 や他の生き物に負わせてしまうダ メージを最小限に抑えるために、 精神的・口頭的・身体的に気を配 るように求められます。この絶え 間ない認知こそが、思いやりを最 大限に引き上げ害を最小限に抑え る鍵なのです。 

 非暴力の大切さは多くの宗教に よって認知されていますが、ほとんどの場合は人類間の非暴力とい う意味で訳され捉えられています。 しかしジャイナ教では、すべての 生物に対しての非暴力を教え実践 しています。 

 ジャイナ教は、地球・空気・ 火・水・植物・森・昆虫・動物・ 鳥、言い換えれば全自然界が生き ている と認めています。自然は魂 にあふれ、知性があります。です から、人類の生命だけではなくす べての生命は神聖で畏敬の念を持って接しなければならないと考えま す。つまりジャイナ教の地球観はとても丁寧で慈悲深い地球観なの です。従って、ジャイナ教では蚊さえも尊敬される意味から、殺しません。そして、年老いたり傷つ いたりした動物や鳥たちのための 聖域や病院も設けています。

 多くの人々は、とにかく人間の 命はそれ以外の命よりも崇高だと信じており、人類の生活を維持し 保持していくために他の動物の命を犠牲にしています。それが理由で、世界中で食肉の生産消費が増加し、熱帯雨林乱伐や過剰漁獲が 広く行われています。しかしジャイナ教徒は、人類にも人類でない ものにも共に平等の畏敬の念を持 つことを求めています。ですから、 ジャイナ教徒は肉や魚の生産消費のみならず野菜の消費の制限も求 められるわけです。  私の母は、土壌かき乱したり植 物を根絶することは、微妙な、しかし暴力の形だと信じていたので、 ジャガイモやニンジンやその他の 根菜を食べようとしませんでし た。 彼女は植物が私たちにくれる熟した果物のみを食べるべきだと 信じていました。また摂取する野 菜と果物の数も制限していました。 非暴力の実践には拘束や制限の実 践を必要とする、とよく言ってい たものでした。 

 拘束や制限の実践を通して私たちは、自分自身との平和、あるい は他者との平和、自然との平和を 作ることができます。まるで工場 のような環境の酷い牧場で飼われ る家畜や、人工化学肥料による土 壌汚染や、森林破壊あるいは過剰 漁獲などを続ける事は、自然に対 する戦争行為と言えます。アヒンサー(不殺生)の原理は地球との 平和を必要としているのです。

 命は相互に依存し相互に関係し 合っています。私たちはすべて繋 がっているのです(人間と動物も 繋がっているし、森と動物も繋がっ ています)。家族の中で親子・夫 婦・姉妹がお互いを世話し相互支 援するように、私たちはすべての 国や宗教、人種、肌の色を異にした人々にも自分の兄弟として接す るべきですし、すべてに向かって 思いやりの実践をするべきでしょ う。私たちがアメリカ人やロシア 人、英国人、フランス人、インド 人、パキスタン人、ヒンドゥー教 徒、イスラム教徒、キリスト教徒、 ユダヤ教徒、仏教徒、ジャイナ教 徒、黒人、白人、である前に私た ちはすべて同じ人類です。そして ひとつの人類と言う家族のメンバー なのです。そして、このすべての命 あるものを統合するという意識は、 人類の命さえも越えて行きます。 空飛ぶ鳥、森をさまよう動物たち、 土の中で働いてくれる虫たち、す べて私たちと関っており、それゆ えに彼らを侵してはいけないので す。我々の神聖な義務は、思いや りの実践と、すべての生命を高め ることなのです。 

 これこそが、非暴力の原理で す。 

 またもうひとつ、同様に大切な ジャイナ教の原理に、アパリグラ ハ(aparigraha: 非所有)がありま す。とても美しい言葉なのですが 翻訳が難しい言葉です。物質の所 有という縛られた概念からの解放 とでも言いましょうか。これは地 球的原理です。消費削減の原理で あり、物質の所有の積み重ねを最 小限にしようと言う原理です。も し3、4枚のシャツで何とかできる のであるならば10~20枚も必要ないでしょう。一度に1枚しか着れな いのだから。また一足の履き慣れ た靴やウォーキングシューズやサ ンダルがあればそれで充分です。ぎっ しり詰まった靴箱は要らないでしょ う。これは物質すべてについて言 えるはずです。ジャイナ教徒は、 物は必要に応じて使い、欲のため にではない、と求められます。そ して物を所有する心配や不安や重 荷から自らを解放します。 

 ため込まないことやアパリグラ ハ(貪らないこと)の原理は現代 の経済理念のちょうど間逆にあり、 現代は生産消費の最大化が原動力 としての理想形です。クリスマスや 復活祭のような宗教的儀礼の時で さえ、購買や消費はどんな宗教的 な教えや実践よりも優先されてい ます。人々は売り買いに取り付か れるあまり、精神的な栄養補給が ほとんどない、もしくは全くない 状態にされています。それは自分 自身を省みる時間や瞑想の時間や 精神に良い言葉を学ぶ時間を失く してしまうのです。 

 消費社会の中では、詩人や芸術 家はなかなか育ち増えることがで きません。大多数の人々は詩や美 術や音楽の時間を持てないでいま す。家族や友達との時間もありま せん。一人散歩を楽しみ自然に感 謝する時間もないのです。祝福の 時間もありません。こういった種 類の生活はアパリグラハのアンチテーゼなのです。もし私たちがア ヒンサーやアパリグラハの原理を 再認識し活性化させることができ るのならば、環境的な危機や資源 の枯渇、浪費、汚染、気候変動、 社会的不公平、ストライキ、弱者 からの搾取等はなくなることでしょ う。 

 アヒンサーやアパリグラハは、 物質の量よりも生活の質が大切で あることを強調します。また地球 をいたわることは、すべての人類 のより良い生活、食べ物、暮らし、 教育、医療につながり、それはた くさんの悪い食べ物、悪い暮らし、 悪い教育、さらに多くの悪い状況 とは全く異にします。ジャイナ教 にとって大切な問題は、どれだけ の物を所有できるかではなく、人 生が良いものかどうか?幸せに満 ち足りたものであるかどうか?な のです。より少ない事はより豊か な事。よりシンプルに削ぎ落とす 価値観が、より密度の濃い質の高 さにつながると考えています。 最終的にジャイナ教的エコロ ジーは、自然への畏敬の念、消費 の制限、精神性の祝福、そして美 しくシンプルな生活を暗示してい るのです。

サティシュ・クマール(Satish Ku- mar)は、「No Destination:Autobiog- raphy of an Earth Pilgrim 」の著者。

翻訳: ディサロ 水城

Making Peace With the Planet • Satish Kumar

Exploring the environmental teachings of the Jain religion

297: Jul/Aug 2016

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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