戦争と平和〜恐怖からの自由なくして平和はありえない

戦争根絶のための戦争であった第一次世界大戦の100年紀にあたる今年、それが全く不実な目標であったことは誰の目にも明らかです。平和への希望は戦後間もなく打ち砕かれたのですから。第一次世界大戦は第二次世界大戦の呼び水となり、その後には冷戦とその他の多くの戦争が続きました。これらの戦争はどれひとつとして平和のためのものではなく、実際は征服と支配のためのものでした。戦争が戦争を終わらせることはありません。戦争が戦争を呼ぶのです。

 世界中の一般民衆が平和を渇望する一方、政治的・軍事的指導者や兵器商たちは、戦争が平和をもたらすという揺るぎない信念を持っているようです。彼らは、失敗の歴史を無視し、「国益」、「国土安全保障」や「領土保全(領土的一体性)」の名の下に戦争の準備を続けています。これらの目標はいずれも掴みどころのないものです。私たちは、絶え間ない恐怖という暴虐にさらされています。ですが、恐怖からの解放なくして平和はありえません。

 戦争の世紀は、平和の力が発揮された時代でもありました。第一次世界大戦時、英国では、シルビア・パンカーストのような作家やバートランド・ラッセルのような哲学者をリーダーとした強力な平和運動が展開されました。従軍年齢の男性2万人が入隊を拒否し、6000人が懲役に服しました。それ以来、平和活動家たちは「目には目を」ではやがて全世界が失明してしまうということを世界に説いてきました。マハトマ・ガンディー、マーチン・ルーサー・キング、マザー・テレサのような人々が、他にもやり方があることを教えてくれたのです。

 9月21日は、世界中でお祝いされる国連国際平和デーです。戦争と暴力の無益さを改めて感じさせてくれる日です。本号のリサージェンス&エコロジストでは、国際平和デーに寄せて、そして、50年前にE.P.メノン氏と共に歩いた(道中私たちに食事や旅の宿を提供し、ガイドを務めてくれた人々の寛容さ、信頼、そして平和を望む想いなくして実現できなかったであろう)1万3000キロの平和巡礼に思いを馳せながら、非暴力の力についてエッセイを寄稿しました。

 2014年10月2日、史上屈指の平和主義と非暴力の擁護者である、マハトマ・ガンディーの生誕145周年を迎えます。本号では、ガンディーへの感謝を込めて、チベット亡命政府の初代首相であったサムドン・リンポチェ5世(ロブサン・テンジン)によるガンディーの精神的価値観と平和の政治学についての講演内容を掲載しました。

 世界は変わろうとしています。少なくとも幾人かの政治家は人々が戦争というものにうんざりしていると気づき始めています。イラク戦争に加担したことが、トニー・ブレアの地位と信頼を失墜させる要因となりました。ジョージ・ブッシュの場合もそうでした。こうした戦争から良い結果がえられることなど無いに等しいのです。罪のない人々が巻き込まれ、殺戮が続いています。オバマ大統領は、多くの人々をおおいに落胆させたましたが、米国の国際的な戦闘行為への関与を削減しようとしています。米英の両国議会は、シリアに対する武力介入を支持しませんでした。ウクライナの状況も良好とはほど遠く、両勢力は非難し合っていますが、少なくともロシアと西側勢力が即座に武力衝突するようなことは起きていません。平和が勝ち取られたわけではないですが、戦争が好ましい選択肢だとも思われていないようです。

 楽観的立場をとるなら、戦争や紛争は過去の遺物だと思いたいものです。ですが、残念なことに兵器商や軍事的指導者たちは平和を求めていません。武器の製造者が方向転換し、本号でジョナソン・ポリットが提唱するように太陽光パネルを製造するようになったら素晴らしいと思いませんか。

 私が考えているほど世界は優しくも単純でもないと思われるかもしれません。ですが、「弱き者は幸いなり。彼らは大地を受け継ぐであろう。」というイエス・キリストの言葉を思い起こしましょう。人類の頭上に争いという暗雲が広がっていようとも、私はくじけることない人間の精神というものを信じ続けています。

サティシュ・クマール

翻訳:宇野真介

ナマケモノ倶楽部ホームページより転載。


286: Sep/Oct 2014 

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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