宗教と権利と現実政治
仏教の教えがミャンマーの権力の現実と衝突しつつあると
ピーター・ポパムが語る。
翻訳:佐藤 靖子
リサージェンス&エコロジストの2017年9月/10月号で、チベット仏教のカルマパ17世のウゲン・ティンレー・ドルジェ(Ogyen Trinley Dorje)は、20世紀に人権が広く認められるようになり、今日それが「普遍的な概念」になったことを雄弁に語っています。世界の多くの場所で人権が広く尊重され享受されていることは事実です。そして、世界的に有名な人権活動家であるアウンサンスーチーは、彼女が現在国家最高顧問を努め事実上の支配者であるミャンマー(ビルマ)において、権利のための精力的な活動を政治権力への架け橋として利用しました。
ところが、スーチーのたどった道筋は、それが単に人間が人権を維持し守るためだけの目的である時、人権がいかに不安定になるかを示しています。
ミャンマーは地球上で最も信心深い国の一つで、人口の90%以上が仏教徒です。仏法(Buddha Dharma)への献身は、中国侵略前のチベットにも匹敵します。スーチー自身は仏教徒として育ち、1990年に自宅軟禁下に置かれる直前、日常的に瞑想を行うようになりました。今でも毎朝瞑想を行っており、平常心を保つ上で瞑想の重要性を語っています。
新聞記事に彼女はこう書いています。「大勢の仏教徒の仲間と同じく、拘束下にある時間を瞑想を実践することで有効に使うことにしました…ひとたび瞑想の喜びを発見すれば、より長い時間瞑想して過ごすようになるでしょう…」そして彼女は精神的成長と政治的進歩の関連を明らかにしています。「私たちはもっと進んだ民主主義がほしい…慈悲の心と慈愛を持って」と彼女は言いました。「愛や慈悲のような価値観は政治の一部であるべきです。」
こうした声明や軍の圧政への断固とした反抗を通じて、スーチーは人権活動家としてあらゆるところで賞賛されるようになりました。しかし、政権の座に就いて1年強という短い期間に、西側の多くの人々の目には、その名声が崩れ去ったように見えています。
人権は分けられるものではありません。けれどもミャンマーでは、少数派イスラム教徒へのたび重なる攻撃に対し、大部分の仏教徒からほとんど非難の声が上がりません。最も西にあるアラカン州の国を持たないロヒンギャ族コミュニティの苦しみは(数人の警備隊が犠牲となった国境ポストへの攻撃後に数万人が国を追われた)、1991年のノーベル平和賞受賞者を動かせていません。「民族浄化は起きていないと思う」と彼女は最近BBCに語りました。「起こっていることを表すのに民族浄化という表現は強すぎます。」
国家最高顧問のスーチーは、何世代もの間徐々に人権を奪われてきたミャンマーに住むこうしたイスラム教徒に対する慈悲の心を持っていないのでしょうか?
彼女の声明を説明するには2つの可能性が考えられます。いずれも、政治家が慈悲の心を実践する上で直面する困難について多くを物語っています。
1つ目は、おそらく、彼女は国の中で非常に大きく広まった反イスラム教徒への偏見を取り入れたというものです。ビルマ仏教の教師は、イスラム教を、仏教が生まれた地インドで仏教を破壊したとして非難し、あらゆる場所で仏教の存続を脅かす勢力であると認識しています。存在的に、イスラム教徒は敵とみなされています。
けれども、たとえスーチーがオックスフォードの学生だった時(そこで初めてできたボーイフレンドはパキスタン人だった)と(おそらく)同じように、心の中ではイスラム教徒に対し温かい気持ちを持っていたとしても、内政、防衛、国境問題の独占支配を維持する軍のお情けで、彼女はミャンマーで権力を行使しています。彼女が軍のロヒンギャの扱いを嘆かわしく思っていたとしても、それについて彼女にできることはありません。甘んじて批判を受けるだけです。
ピーター・ポパム (Peter Popham) はジャーナリスト。伝記の「The Lady and the Generals: Aung San Suu Kyi and Burma’s Struggle for Freedom(仮訳:淑女と将軍-アウンサンスーチーとビルマの自由のための戦い)はペーパーバックで出版されています(Rider, 2017)。
Religion, Rights and Realpolitik • Peter Popham
The dilemmas facing Aung San Suu Kyi
304: Sep/Oct 2017
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