思考の糧、生活の記憶

Antara Mukherji が思い起こす、祖母のキッチンとその教え。

自生のアーモンドの木の下に腰掛け、膝には日差しが零れ落ちる中、私はある過去の出来事を追体験しようと試みていました。私はいつか過ごした、祖母とのキッチンでの時間に心を奪われていたのです。

 私も近年我が子を育て、料理を作り、菜園を作る身となってからは、心身と魂に健やかさを与えるキッチンそれ自体の重要性に気がついていました。今では祖母が行っていた作業のすべてが、どれ程重要で意味のあることだったかを分かっています。そこには祖母ならではの静けさがあり、独自の儀式のごとき敬いがあり、キッチンの中の生物、無生物と交わす彼女独自の親密さがありました。

 こと祖母のキッチンでは、「捨てる」という概念そのものが存在していなかったことを、はっきりと覚えています。全く何ひとつ、ゴミ箱に入れるものがないのです。もっと言えばそもそも、ゴミ箱すらありませんでした。種ひとつ、野草ひとつとっても、すべてがその使命を持っていたのです。

 祖母は素材の最後の一欠片まで使い切るための知識と技術を生まれつき身につけている様でした。水は最終的に植木鉢に注がれるまで、何度も再利用されました。食べ物の残りはペットたちの餌になりました。再利用とリサイクルは当たり前のことだったのです。  

 祖母の知識、技術、そして働きは、例えピクルスを作っていようが、お茶を淹れていようが、10人前の食事を用意している時だろうが、どんな時にでも、独自のシンクロでもって注がれるのを感じることができました。料理をすることはスローで持続的なものだから、祖母にとってそれらを掛け合わせることは、自然に起こったことなのでした。

 祖母のキッチンには計量器はありませんでしたが、ご馳走や風邪の子供に食事を作る際のスパイスの適切な量や、どのくらいの米を炊くかなど、残る程多すぎず、しかし常にたまたま立ち寄った誰かひとり分くらいの余剰はあるという最適な分量で、祖母はそれを直感的に知っていたようでした。

 牛乳屋と彼の牛、庭師、お手伝いさん、ご近所さん。すべて祖母のキッチン・クロニクルの大切な一部でした。彼らは互いに強い相互関係と一体性にあり、キッチン周りで起こるすべての活動は、たくさんの人生に違った形で影響していました。

 私たちが食べていた果物や野菜、花などは自分たちの菜園で採れたものでした。かぼちゃ、瓜、グアバ、マンゴー、スターフルーツ、ドラムスティック【鶏や七面鳥の腿】やニームの葉、そして季節ごとの旬の物の収穫もたくさんあり、それぞれの味わいを運んで来てくれるのです。私たちが持つ土との関係は、幼少期に始まっていたものでした。季節は私たちの人生と絡み合って、それを歓迎し祝福していたのです。時は過ぎ、私は思い返していました。あのお祭り騒ぎが人々を集わせ、人とのふれあいを感じ合い、祝福したことは、今もなお私の胸を高鳴らせます。

 これを書くにあたり、私の心に懐かしさと同時に、少し悲しい気持ちが沸き起こりました。過去を取り戻すことはできないでしょうが、祖母のエッセンスは私の胸に確実にあり、そして豊かさや幸福に向かって努力する、その小さな行動を起こすことができるのです。

アンタラ・ムクハージ(Antara Mukherji)はライター、イラストレーター。バンガロール在住。

翻訳: 齋藤 未由来

Food for Thought, Memories for Living • Antara Mukherji

Lessons from my grandmother's kitchen

298: Sep/Oct 2016

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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