自然と想像力

Vanessa Sheehan が人々と地球の関係を変える必要性に思いを巡らせる

「ある者に感動のうれし涙を流させる木は、ある者には道を塞ぐ緑の物体にしか見えない。自然を完全にあざ笑い不格好なものとみなすものもいれば・・・稀に自然を全く見ない者もいる。けれども想像力を持つ者の目には、自然は想像力そのものである。」-ウィリアム・ブレイク (William Blake)

トマス・ベリー (Thomas Berry) は想像力を失うことは自然を失うことだと言いました。これは、想像力と自然の間に何の関係があるのかという疑問を投げかけます。人間の想像力に生態学的機能があるのでしょうか?もちろん、あらゆる創造性に富む行為や新奇性の源は想像力です。「自然 (Nature)」(ラテン語でnatura) という語の語源は「誕生 (birth)」を意味します。ですから、地球と地球上のあらゆる多種多様な形態は地球の想像力の物質的な誕生であると考えられ、それは超越的な総体-聡明で新奇性を生み出す生命への衝動-を成すと考えられるかもしれません。

 この文脈では、私たち人間は地球上に誕生するのではなく、地球によって誕生します。私たち一人一人は、この超越的な総体の一瞬のきらめきである一部分であり、同時にその中に心理的にも物理的にも組み込まれ関わります。人間の精神的、物理的構造は、地球の精神的、物理的構造に根差しています。このように人間と地球は一貫性を成しています。ここでは全体は部分の中に存在します。

 このような一貫性を考慮すると、地球の大宇宙的な想像力-感覚的に地球自身を創造的に展開するように見える、新奇性を生み出す生命への衝動-は、私たち自身の小宇宙の精神や想像力の中にあるのでしょうか?結局のところ、人間として、私たちは自然を流れるのと同じ叡智を想像上の空想に注ぎ、私たち自身の創造性を通してその空想に意図的な表現を与える能力を持って生まれたのでしょうか?私たちが地球規模の生態系の組み込まれた部分であることを理解し、私たちの創造行為が生態系の多様性や生命の再生に貢献するように、私たちの想像力からデザインすることを学べるでしょうか?

 象徴的な言語を用いて未来を思い描いたように創造する能力を持つ唯一の生き物であるという点で、人間は独特であるように思われます。そのため、地球の複雑性が増している表れとして、人間は想像する能力を通して、地球が自身の未来を想像するのを支えているのかもしれません。これについて重要なのは、地球がこれまでに呈したどんな地質上の力にも劣らないほどに人間の創造性が大きいということです。そのため、地球に代わりそして地球と連携して、人間が想像したり、未来の生態系の健全性の支援に積極的に関わったりする能力は、これまでになく大きな影響を持ちます。人間の想像性は今、自然と人間の文化の間に地球の共生を再構築するために不可欠です。

 人間の想像力が神の叡智を伝える媒体であることは、何世代もの神秘主義者や詩人、先住民族によって言わ

れてきました。そのため、想像力は導きを受けるため、また、各個人が関係する神秘的な事柄を明らかにし、人々と神、人々と自然、そして部分と全体の間に調和を築くために用いられます。神秘主義者や詩人は、夢想する、祈る、瞑想する、踊る、歌うといった状態の無意識の境界に自らを連れて行き、変化した意識状態を通じて超越的な叡智と関わります。こうした人々の習慣から、意識と無意識の間の逆説的な点として私たちは想像力を最もよく理解するかもしれません。この状態は、部分と全体、自己と他者の間に共創の可能性を生じやすくします。

「想像力を用いて、私たちは実現する世界を夢見る。想像力は私たちと世界の間にあるものであって、私たちの中にあるのではない。」-デイビット・アブラム (David Abram)

 現在の文化を支配している機械論的哲学は、心と物質、精神と自然を切り離す還元主義的な思考の枠組みの上に成り立っています。17世紀にデカルトがこの分離を規定した時、想像力は取って代わられ、合理性との二元性に捕らわれてしまいました。創造性はもはや協力と共生を成し遂げるための、自然の神の叡智と相まった行為とは考えられなくなりました。むしろ、自然は

搾取し操作する機械的な資源となってしまいました。実質的に、個人が行為で表明しようとした調和のとれた総体は、別の方針に敗れました。そこでは自然の創造的原則が、個人主義と競争を促進する人間中心の文化を求めて脅かされていました。

 デカルトの二元論の結果失われた物は、自然の内面性の中にある「超越的な他者」との交わりを追求し、そこへ入っていくことへの欲求とそうすることの正当性の両方です。そのような交わりは物質世界では誓約の旅として展開し、空想や絆、信仰心を通して生じます。この交わりや誓約がくだらないとみなされると、自然との心理的なつながりさえ閉ざされてしまいます。

 私たちは二面性のある生き物で、物理的にも形而上学的にも、両方の領域を大いに必要としています。これは物質を心と交換したり、科学を精神性と交換したりするものではなく、こうした二分法を超越するものです。地球の生命、知的な創造性は、私たちを通して地球自身を私たちにさらけ出します。想像力豊かな出会いによって、経験的、主観的に私たちが自然の大きな一貫性の中に組み込まれていることを思い出す必要があります。地球の知的な理解のみに留まることにより、私たちは想像力や創造性を聡明に倫理的に利用するのに不可欠なものを忘れてしまいました。この還元主義的アプローチのせいで、私たちは創造的な行為において全体や実際には「他者」を考慮することができなくなります。

 人間は地球の巨大な代謝になりました。私たちはもはや、社会生態学的危機の圧倒的な複雑性に対処するために次に行くべき場所の基準点を持っていないようです。そのため、こうした問題に対処するために想像力を活発にする必要があります。それに必要なのは知識とは別のものです。私たちの想像力が自然と共生する創造性を育むために、私たちは芸術家や預言者、神秘主義者、先住民の人々-モーツアルトやウィリアム・ブレイク、レオナルド・ダ・ビンチ、カール・ユング、ルーミーなど-の知恵に倣うことから始めてはどうでしょうか。私たちは「私」が「あなた」に溶け込む超越的な総体からの導きを探す必要があるのかもしれません。

 「私のユニークな創造性で地球にどんな貢献ができますか?」その答えは、夢や瞑想、祈り、踊り、芸術表現などに見出すことができるかもしれません。これは地球の想像力を求め、私たちを自然との対話的なダイナミクスの中に置く方法かもしれません。創造者はこれら全てのシンボルやメッセージにより導かれるために、意識下から抜け出し、共感、謙虚さ、そして思いやりのある想像力の深みに入るのに時間がかかります

 想像力と自然は、想像力により私たちがつながりの性質を経験し、その超越的な生への衝動に遭遇する方法によって繫がっています。自然や地球上の全ての生き物を、地球の想像力の物質的な誕生として見る時、人間と自然の分離の間隔がなくなります。想像力を発揮して自然とつながることによって、自然と人間の創造性の間にある一貫性を利用し、相互尊重と相互依存の倫理観に基づいて行動できるようになります。

ヴァネッサ・シーハン (Vanessa Sheehan) は、シューマッハ・カレッジの理学修士ホリスティック・サイエンス・プログラムで学びました。芸術家であり、個人と組織のリーダーシップコンサルテーションの対話ファシリテーターです。

翻訳:佐藤 靖子

Nature and Imagination • Vanessa Sheehan

We need to change the relationship between people and planet

298: Sep/Oct 2016

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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