人生のストーリーテラー

アルジェリア出身、仏国籍の環境問題活動家及び簡素な生き方を主張する哲学者、ピエール・ラビに、サティシュ・クマールがインタビューします。

翻訳:斉藤 孝子

サティシュ・クマール:現代の都市社会は自然と切り離されて来ましたが、人が再び自然と結びつくことがなぜ重要なのでしょう?

ピエール・ラビ:私たちは自然の子供だからですよ! 最近、あるジャーナリストが水について私に尋ねに来ました。私は彼女に言いました。「マダム、あなたは水です。」私たちは水であり、土であり、空気であり、自然なのです。私たちはそれらから出来ているのです。自然と私たちの間に隔たりを作ったのは、意識の在り方です。その隔たりは本来のものではないので、源に還ること、つまり母なる地球自身に還ることが、今とても重要なのです。

企業の為に、都市に住みオフィスや工場で働く人がどんどん増えています。どうすれば、そういう人々に、自然に還る必要性を分かってもらえますか? 彼らにはお金が必要です。請求書を払わねばなりません。自然に還る必要があるなどと思っていません。

それは少し違います。フランスでは、11ヶ月間働き、1ヶ月間休みます。そのひと月間、誰もが山や海へ行きます。自然に還る必要があるということです。

自然から隔離されている現代社会の象徴がネクタイです。だって縛り首のロープみたいに結び目を締めるんですから。象徴的に言うと、かなり恐ろしいですね。不自然なシステムへの服従を思わせます。仕事が終わった途端、皆ネクタイを外します。でも、そもそもなぜネクタイを締めるんですか?[笑] 私に言わせれば、それは自発的服従の象徴ですよ。人間は奴隷になり下がってしまいました。自然からすっかり隔離されました。現代社会の原理原則は、「お前の人生をよこせ、そうすれば賃金をやる」なのです。

大都市は人を自然から切り離します。日は昇り日は沈む、けれどその荘厳さを賞賛する人は誰もいません。人生は、その全ての美しさを与えてくれているのに、それを讃える人がありません。なぜなら、時は金なり、自然もまた金の成る木、というおかしな考えに取り憑かれているからです。

時は金なりと、信じてきっています。金はあるが、時間がないのです。

その通りです。こんな話があります:

一日の仕事を終えた漁師が、網を乾かしながら浜で休んでいました。

通りすがりのビジネスマンが、漁師を見て足を止め、話しかけます。「そのボートは君のものかい?随分小さいね。もっと大きなボートにすればいいのに。」

漁師は訊きます:「それで?」

「もっと大きなボートがあれば、もっと魚が獲れる。そうすればもっと稼げて更に大きなボートを買うことができるじゃないか。」

漁師は訊きます:「それで?」

「そうすれば何人か漁師を雇える。」

漁師は訊きます:「だから?」

「そしたら、君はのんびりできるじゃないか!」

漁師は応えます:「それって、正に今、俺がやってることだけど。」(笑)

つまり、「常にもっと、常に足りない」という現代システムがいかにおかしいか、ということです。現代社会は物が溢れているのに、多くの精神安定剤が使われています。ですから、理想的な存在状態、つまり、ただ所有するのでなく、私たちを存在せしめる状態とはどんなものか、真剣に考える必要があります。

進歩、開発、経済成長が人々の生活水準を高めると考えられていますが。

それは思い違いです。私は、殆ど何も持たず、それでも幸福である人々に会ったことがあります。幸福は物質的なものでは築けません。物質的なものは私たちを喜ばせはしますが、必ずしも歓びをもたらすものではありません。歓びは別のものです。それは別の本質です。ある意味、それは神の本質であると言えるでしょう。歓びは私たちが創るのではありません、つまり歓びに自らを開くだけです。私たちが創造できるものではないのです。

けれども、人々はそういう錯覚に生きていて幸せではありません。だから大量の薬が消費されるのです、自分は幸せだと感じたいが為にです。現代社会の多くの人が、多ければ多いほど良い、という大きな錯覚の犠牲者ですが、多いことが必ずしも良いとは限りません。しかしながら、物事は変わり始めています。物質的豊かさが必ずしも歓びをもたらすわけではないと、人々は気づき始めています。

人々はある意味、抵抗しています。Brexitやトランプ大統領の例をみれば、人々は明らかに何かに抵抗しています。でも、私たちが望む前向きな抵抗ではありません。フランスでは多くの人がルペンに魅力を感じてますが、エコロジー運動や有機食品運動はいまひとつです。難しい闘いです。

なぜかというと、人が土壌からとても遠くに切り離されたからです。私たちは、無土壌文化のような都市を作りました。そういう都市に住む人間は、自分の食べ物がどこから来ているのかさえ分かっていません!死んだ土壌で食べ物を育て、それを身体に入れているのです。食卓に座るときは「召し上がれ」でなく、本当は「幸運を!」と言うべきだ、と言った人さえいました![笑]

人は、どんどん考えなくなり、その結果、何も考えない消費者になってしまいました。これは人間を弱くします。なぜなら、教わったこと以上のこと、つまりその枠を越えて何の手がかりもないとき、人は簡単に操られるからです。すると、社会基盤となっている通念全てが、世界政治を決定する富裕層1300人に全権力を与えている事に気づきます。実際、力があるのは彼らです。従って、一般大衆は社会通念に操られ、その通念が正しいと思わされて来た、という事です。そうなると、人はもはや主体性を持ちません。それが今、私たちが置かれている状況なのです。変化に向けて動く必要があるのです。

フランスでは、市民社会に既存する素晴らしい主体的な活動をお見せする市民フォーラムを立ち上げ中です。近々始まる予定ですが、コリブリ( 「ハチドリ」の意)により組織されています。コリブリは市民の意識を高める多くの活動しています。

ハチドリにまつわるアメリカ先住民の伝説を聞いたことがありますか? それによると、かつて巨大な森林火災がありました。動物たちは皆、怖れ、慌てふためき、しかし為す術もなく、ただ火事を見ていました。一匹の小さなハチドリだけが、近くの川との間を忙しく行き来し、クチバシで数滴の水を運び、火にかけていました。

そのうち、一匹のアルマジロがそのハチドリの無益な行き来にイライラし始め、叫びました。「ハチドリよ、君は気でも狂ったのか?そんな小さな水滴で火を消せるわけないじゃないか!」

ハチドリは応えました:「分かってる、でも自分のできることをやっているんだ。」

コリブリ運動はフランス全土でしっかり成長し始めています。人々は、「ねえ、私も何かできるわ」と言いようになり、それをやります。小さなことができるなら、その小さなことを、大きなことができるのなら、その大きなことをします。重要なことは行動すること、何かをすることです。大きいか小さいかにかかわらず、誰もが自分のできることを行います。でなければ、人々は起きている事柄に対し、仕方ない、自分らには何もできない、と思ってしまいます。

一般大衆が自身の手に力を持たねばならない、と仰っているのですか?

その通りです。平和的に、いかなる暴力もなしに、です。人々は力を持たなければなりません、なぜなら、これは私見ですが、政治家たちはディスタナシア[苦難死、安楽死の反意]の類いを実践していると思うからです。彼らはどんな事をしてでも現在の社会通念を保とうとしていますが、それはもはや死に体です。2002年の仏大統領選に出馬したとき、私は「意識の高まり運動」をスローガンにしました。今、それはもはや個人の社会学ではありません、つまり、意識の社会学です。

あなたは、エコロジー意識の高い人々が政界に入り、選挙を戦うべきだと提案していらっしゃるのですか?

フランスにはエコロジー党がありますが、残念なことに彼らは出来事や物質的な事について話すに留まっています。今日、ヨーロッパでは、悲しみや失望が人々を覆っています。歓びなどどこにも見当たりません。自然は歓びです。政党は違います。自然は全ての人に関わります。共和国大統領であろうが道路清掃者であろうが、誰もが自然の影響を受けます。エコロジーを政治レベルから意識レベルに移行させるのが私たちの役目なのです。なので、ひとりひとりが自然の子供だ、と感じることが重要なのです。そう感じるようになれば、意識は高まります。それで選挙に出馬したのです。しかし今は、私たちの運動はボトムアップで構築すべきであり、エコロジー党も草の根レベルで活動すべきだと考えています。

人は15年間教育制度の中にいます。人生の唯一の目的は、お金を稼ぐこと、車を買うこと、家を買うこと、と洗脳され仕込まれます。15年間...

それが、いわゆる無力化です。それだけではありません。このシステムでは誰かが用済みになると、その人は捨て去られます。使い捨てのナプキンがあるように、今では人間も使い捨てです。あなたが用済みになれば、あなたはただ捨てられるのです。

物事を客観的に分析すると、生よりも死を重視する人間の属性が見えてきます。殺人兵器の製造に多額の資金を投資し、命をないがしろにしてます。私にしてみれば、これは人類が重篤且つ集団的病に罹っている証です。この病を治すことが重要です。さもなくば、人類は破滅に向かい続けます。

どうすればその病を治療できますか? どうすれば癒しをもたらせますか?

私には理想郷のビジョンがあります。国際レベルで武器製造を止め、子供たちに競争でなく協力を教え、自然や命を尊重し、男女のエネルギーバランスをとるなど、そういった事全てを行なえば、人類が生き残るための行程に踏み出せます。

しかし、この理想郷ビジョンは遥かかなたです!現時点では、人々は新レベルに対し、全くおかしな態度をとっています。科学を装った新しい反啓蒙です。私たちの文化では、科学的だ言うと、誰も反対しません。何かを確認したり検証したいとき、「科学的だ」と言います。しかしながら、科学は悪事も沢山やって来ました。極めて危険な集団思想を目にしている理由がそこにあると思います。

科学は悪いことを沢山やって来ました。いくつか例を挙げて頂けますか?

武器、化学物質...農薬学者は化学物質を使用して土壌にそれを混入させるよう訓練されます。製薬研究所は、環境を汚染しながら莫大な富を稼ぎます。現代医学は、患者を全身的に考慮しないため、とても良くない点が幾つかあります。薬の処方です。これこれが悪いから、これこれの薬を服用する。精神的な何かが起きているから肉体的に病気が生じている、とは考えません。全てが繋がっているのに、医療は単に薬を処方するだけになり下がりました。もちろん、無視できない良い進歩はあり、それが手術です。手術をやり過ぎないという条件で…かつては虫垂炎のようなもので亡くなっていたのが、今日では手術で救えます。

ということは、科学に必要な事は精神的価値を伴わせることだ、ということですか?

そうです、科学を善悪どちらへ発展させるかを決めるのは人間です。武器製造は悪への発展ですが、人々を救う新しい治療法を見つけるのは善への発展です。

エクス=レ=バン[仏、サヴォワ県の市]での当インタビューの翻訳者ルイーズ・ラング(Louise Lang)に感謝します。当記事短縮版は、雑誌リサージェンス&エコロジスト(Resurgence&Ecologist)7月/ 8月号に掲載されています。

サティシュ・クマールは、「土・魂・社会」の著者であり、リサージェンス・トラストの名誉編集長です。

Storyteller of the Life that Could Be • Satish Kumar

An interview with Pierre Rabhi, ecologist and visionary

303: July/Aug 2017

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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