恵みに拓いていく
シャルミラ・デサイは、ゴアの先祖代々の土地に根を下ろし、ヨガを「存ること」と「行うこと」の生涯の実践として受け入れた賜物について語る。
翻訳・校正 :沓名 輝政
21日連続で、モンスーンが私たちのゴアの村に降り注いだ。 豪雨は私たちの家、ココナッツの水田に打ち寄せ、古いマングローブを根こそぎ倒していく。 絶え間なく降り続く雨音は、インド洋から吹き付ける突風や、骨の髄まで響く雷鳴によって中断されることもある。 これ以上雨が降り続くことはないだろうと思われるとき、その激しさは増す。
モンスーンが吹き荒れる中、保護した体重2トンの水牛、ラクシュマン(私たちの生涯の恋人)の蹄に傷ができた。ウジ虫予防の薬を定期的に塗る必要があるため、私は膝まで水につかり、赤い泥の中を足をかき分けてラクシュマンに近づいた。それから、朝食を手づかみで食べさせなければならない一番小さな牛、シータのところへ行く。最後に立ち寄るのはヨガ・シャラ(ヨガの家)だ。トゥルシー(ホーリーバジル)の祠のそばにある、年老いたマンゴーの木は、ゴア固有の鳥やリス、昆虫たちの棲み家になっている。この木は保水によって倒れ、その撤去計画を立てる必要がある。
自然が赤紫色の夕日とともにメロディアスな調べを奏でるゴアの「シーズン」には、猛暑とモンスーンの嵐が私たちの周囲にもたらす逆境など想像もできないだろう。太陽が大地を焦がし、井戸を干上がらせ、その直後に雨が降り、粘土瓦の屋根を打ち抜き、歩道を何日も水浸しにする。ここから立ち去るという考えが妥当に思われるが、心の奥底の声は言う。
一年中ひとつの場所に滞在することで、それぞれの季節のペースを理解し、家族としてのスタミナを養い、先祖代々の土に手を加える。春は祖母の忘れ形見の井戸を甦らせるために捧げ、夏はヤシの実を天日干しして油を作り、糞を焼く。大雨が降れば、必要なものだけを収穫する。私たちは、原生の木々が水の中でどのように成長し、いくつかの花木が灰色の中で最高の花を咲かせるかを観察する。牛たちはガウシャラ(牛の隠れ家)のひさしの下で寄り添うのを好むが、水牛たちは外の大量の水たまりで転げ回りながら微笑む。水牛たちは、敷地には決して掘り起こしてはいけない箇所があることを私たちに教えてくれる。
1970年代、少女だった私が初めてヨガの練習を始めたとき、呼吸を静かに、途切れることなく追いかけるというシンプルな行為が、私の人生における転換の始まりとなった。その道筋は即座のものでも、あからさまなものでもなく、一直線に続くものでもなかった。この旅を定義づける段階的な自習の方法は、広大な静寂の空間、生来の本質に触れる孤独へと導いた。
気づきを培うことの中心には、生きることの波の中で、特に波乱や未知の瞬間の中で、平静さとのつながりがあった。そうした経験は、平和と可能性への入り口であることが証明された。場合によっては、再出発するための回復力のきっかけとなったが、どのような場合でも、それらは常にヨガの道を歩み続けるための原因だった。
ヨガの実践は、内なる光に火をつけ、神聖な幾何学を通して、魂と常に一致しながら、ゆるやかに持続していく。同時に、この道を進むことは、行動と責任を通して世界と関わる勇気と明晰さを教えてくれた。精神修養という小宇宙から引き出された知識を、日常生活という大宇宙に応用するには、ゆっくりとした一貫したアプローチが不可欠だ。経験したことを世界に適用することは、ヨガを生きる上で不可欠なことであり、適用することで一体感を感じることができるのだ。
エゴを肉体の叡智に昇華させるとき、内から外への架け橋が特に堅固であることが証明された。この叡智は、かつて私の子供を出産したときに明らかになった。そこでは、個人的な努力は、より大きな内的な動きが起こっていることを認識するために放棄された。その結果、忍耐と知性をより鋭敏に受け入れるようになった。同じ忍耐と深い傾聴は、シャラの土地を育み、5年かけて海岸沿いの大地の地下に埋もれた部分を活性化させたときにも発揮された。そうして初めて、種を蒔くのに十分な肥沃さを得たのだ。
ランピースキン病と呼ばれる、インドで流行している致命的なウイルス性の病気から私たちの牛を治す必要があったとき、動物界が示す時間枠を受け入れるだけでなく、治療を提供するために揺るぎない集中力を使った。私たちの牛のうち1頭がこの病気に倒れたが、その後すぐにもう1頭が出産し、内なる成長のタペストリーに受容と希望の糸が織り込まれた。すべての生命をヨガとして受け入れることで、やがて不快感の中に身を置き、その中で呼吸をすることに慣れが生じ、理解すべき深い知性に目覚める。
ヨガをサダナ(生涯の精神修養)として確立することで、目的を妨げるものを取り除くとともに、内省することが求められた。草取りや剪定のように不必要なものを取り除くことで、私たちのヨガ・シャラの使命に愛情が注がれ、静寂、熟考、統合の精神が形成された。存在のあらゆる側面にヨガを伝えようと努力することで、「自己」の知識が見出されるシンプルな巡礼の旅へと導かれた。自己鍛錬の輪郭の中に模索することで、日々のアシュタンガヨガの実践コミュニティという領域に、女性たちのためのスペースを創り出すことが可能になり、規則正しいサイクルを身につけ、出産に備え、出産から生まれ変わるための準備をし、更年期前後の真理を再検討することができるようになった。
モルジムの村に根を下ろすことで、庭とその動物たちは、訪れる子供たちと絆を結び、親族関係を熟成させている。若者から、家庭の責任を果たしスピリチュアリティに人生を捧げるようになった人たち、犬、猫、ウシ、鳥、古木に至るまで、すべての生命エネルギーがシャラの子宮のような生態系を作り出し、相互のつながりを形成しながら、内側に向きを変えて繁栄している。
シータの隣にしゃがみこみ、粟を食べさせながら、湿った雨の中で猛威を振るう蚊や赤蟻の周りを動き回りながら、私は考える。どのようにして、ここに至ったのか。
呼吸の音に従うという基本的な練習から始まったことは、存ること、そして行うことを通して常に学び続けるという人生の道を切り開いた。人生にとって普遍的であり、私たちの村に特有の、あらゆる種類の複雑さを克服することは、努力を深め、結果への嗜好から離れる理由となった。深く根ざしたコミットメントと切り離しを共に維持するための導線は容易ではなく、内的な作業がどこにあるのかを明らかにし続けている。以前の経験から、私たちは何を準備すべきか、どう準備するのがより良いかを理解することができる。また、万全を期していても、これまで隠されていた力や母なる自然から、予定外のことが起こる可能性があることを発見することもできる。その瞬間は、大いなる宇宙を思い起こさせる必要な謙虚さなのだ。
ヨガ・サダナで、世界、特に人生の困難な道筋を進むための価値観を植え付け、自然との回復的な対称性を見いだし、敬虔な気持ちが持てるようになる。それぞれの敷居をくぐり抜けることで、私たちは知識と神秘に等しくグラウンディングする。爪には土を埋め込み、心には献身を植え付ける。
シャミラ・デサイ(Sharmila Desai)は、インド・ゴアの先祖代々の農地にあるアシュタンガ・ヨガ・モルジムとバクティ・サンクチュアリの創始者。夫、2人の子ども、猫、犬とともに、捨てられた水牛や牛に家を与え、ココナッツ、バナナ、野菜を育てている。『Yoga Sadhana for Mothers(母親のためのヨガサダナ)』(Pinter & Martin社刊)の共著者でもある。www.ashtangayogamorjim.com
348: Jan/Feb25
0コメント