本当に最後のチャンス
ご存知の方も多いと思うが、リサージェンス・トラストは、ドラマチックで美しいハートランド半島にある人里離れた小さな海岸沿いの村を拠点としている。
偶然にも、私はハートランドから数マイル離れたところで育ったが、当時のほとんどの家族にとって、長い夏休みはビーチや海で過ごすものだった。
私はもう海の近くに住んでいないが、海について考えることが多くなり、次第に圧倒的な悲しみを感じるようになった。少なくとも、何十年もの間、気候変動の最悪の側面から私たちを守ってきた海が、これ以上耐えられないかのようだからだ。
この『ようこそ』を書くために腰を下ろしたとき、ニュースフィードに海が記録的な高温に見舞われた1年だったという見出しが表示され、オンラインの活動家グループAvaazが『Ocean Graveyard(海の墓場)』という見出しで行動を呼びかけた。
私は泣きそうになった。
この夏号の「海」という特別なテーマについて編集部が話し合ったとき、私たちは、憂鬱な物語を語るような悲惨な事実や数字を大々的に紹介しないことに決めた。その代わりに、私たちが「海の栄光」と呼んでいるものをいくつか紹介することで、私たちが海や海洋生物に関係するものを愛する理由を祝うことにした。
民族学者ジョナサン・バルコムの素晴らしい著書『What a Fish Knows』からの抜粋から、海洋ライターで常連寄稿者のメリッサ・ホブソンが海洋科学者に話を聞き、海についてまだわかっていないことのほんの一部を発見するところまで、このテーマは私たち全員が行動を起こすための準備を整えるようにデザインされている。そして「Making Waves」では、30ページで、どこから始めるべきか提案している。
実際、海に関する素晴らしいアートワークや、海の破壊に歯止めをかけるために何か(むしろ何でも)しようとする慈善団体組織や人々(これまで別の道を見てこなかったのだが)に関する物語で、次から次へとページを埋め尽くすことができた。
これほど多くの人がこれほど多くのことをしているのに、まだ十分ではない。
まるで私たちが最後のチャンスにいるように感じるが、ほとんどの人は耳を傾けていない。
何が必要なのだろうか?
1968年3月、ニューデリーで開催された国際自然保護連合(IUCN)の3年に一度の総会で、当時セネガルの水・林業局長だったセネガルの林業技師で環境保護主義者のババ・ディウムは、次のような知恵を披露した。
「結局のところ、私たちは愛するものだけを保護し、理解するものだけを愛するのです」
その当時の夏、私はおそらく兄弟たちと大西洋の波打ち際で泳いだりボディボードをしたり、一晩のうちに砂浜に打ち上げられた巨大で毒々しいポルトガルのマンボウの死骸を横取りしたり、岩だまりにいる血のように赤いイソギンチャクを数えたりしていたはず。
もし私たちが他に何も理解していないとしても、私たちの海が死につつあり、海に住む生き物たちも死につつあること、彼らが私たちの助けを必要としていること、そして今こそ行動を起こすべき時であることは、きっともう理解しているはずだ。
スーザン・クラーク
リサージェンス&エコロジスト誌の編集者
(翻訳校正:沓名 輝政)
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