種の保存

アナベル・ヘーゼルタインは、インド洋北西部のソコトラ島を訪れ、ベニイロリュウケツジュの窮状を知る。

翻訳・校正:林田 幸子・沓名 輝政

 私はアデン湾の河口に浮かぶイエメンの小さな島、ソコトラ島に商業用ダウ船で、午前2時に到着します。しかし、アハメド・アディーブが税関を通過するのを手伝ってくれるまで、あと8時間かかります。週に一度の「人道支援の」フライトに乗ることもできましたが、私は時間をかけて、分断されたタイムカプセルの中にあるこの島に到着したかったのです。ユネスコの世界自然遺産に登録されているこの島は、極めて隔絶されていて、植物種の37%、爬虫類と陸生カタツムリの90%以上が固有種です。

 この帆船の舷窓からは、銀色の砂丘が乳白色の月明かりに照らされ、精霊ジンの土地ならではの幻想的な光景が広がっています。この土地では、年配の世代がいまだにマコリの呪術医に相談し、男たちが書き言葉のない言葉を話し、暑い時期には洞窟で眠り、ベニイロリュウケツジュ[学名:Dracaena cinnabari]の最後の森となっています。

 血のような赤い樹脂を垂れ流すこの木は、実はハーブであり、アラビア語でDam al-Akhawain(2人の兄弟の血)と呼ばれています。というのも、この島は2人の兄弟が殺し合った後、彼らの血が流れ落ちた場所から生まれたからです。樹脂は凝固剤、バイオリンのニス、口紅の原料、中国の家具職人の漆、中世のインクとして使われてきました。剣闘士は傷口に使ったと、『パルファム紀行 : 香りの源泉を求めて』の中でセリア・リッテルトンが語っていました。

 ソコトラの人々は今でも熱病や赤痢の薬としてこの木の樹脂を採取していますが、何世紀にもわたってその血を得てきた報いの時を迎えています。今、ベニイロリュウケツジュは、保護を必要としています。その弱点はその成長の遅さです。標高400メートル以上で生育するこの木は、浅い根からだけでなく枝からも多くの水分を吸収し、800年は生きられますが、成木になるまでには少なくとも100年はかかります。気候の悪化と過放牧によって危機に瀕しており、高齢者が亡くなるにつれて、伝統的な土地管理の知識も失われつつあります。2021年の科学論文では、早急な支援がなければこの木は絶滅に直面すると結論付けられました。

 「私の庭を見たいですか?」アディーブが、バケツでシャワーを浴びた後の私に尋ねます。私は無垢の砂の中庭を見回します。何も植えるところはありません。しかし私は違う方向に進んで行きます。

 埃にまみれながら、イエメンの銀行や政府の行政庁舎を通り過ぎ、いたるところでヤギがゴミや青いビニール袋の上をさまよっています。イエメンとアラブ首長国連邦からこの袋に詰められて届く、至るところにあるカートの葉の遺物であり、アラブ首長国連邦は今、この美しい島に強い関心を示しています。

 高さ2.4メートルの小舞壁の外に車を停め、ドアを開けてエデンの園に足を踏み入れます。小さな砂の街の騒々しい雑踏のあとでは、とても予想外の光景です。中は穏やかで涼しく、ヤシの木陰があり、ベニイロリュウケツジュの赤ちゃんがたくさんいます。高さわずか45センチのトゲトゲのサボテンのような植物が、7種類の乳香とともに列をなして植えられています。

 「私たちは山に持っていくためにここに植えています、なぜならディクサム高原や Roqeb di Firmihin[ソコトラ島の中央、深い峡谷に囲まれた石灰岩の台地]へ行っても、ベニイロリュウケツジュの苗木は見かけないから。無いのです」と、アディーブは樹齢20年の苗木を抱え上げながら、言います。

 森林は成熟しすぎており、若い木はほとんど見られません。干ばつ、サイクロンの猛威、土地の管理不足などが原因です。しかしアディーブはこう言います。「大きな問題は、島に48万頭ものヤギがいて、何でも食べてしまうことです。木を取り戻すには、フェンスと資金が必要なのです」

 「アディーブは大義のために戦う大事な推進者の一人であり、計り知れない知識を持っています」と、生物学者のケイ・バン・ダンメは言います。彼はソコトラ島の環境慈善団体フレンズ・オブ・ソコトラ(Friends of Socotra)の会長を務めています。彼は、絶滅の危機に瀕した樹木の保護を目的とするスイスの慈善団体、フランクリニア財団(Franklinia Foundation)が資金を提供するプロジェクトにアディーブとともに取り組んでいます。バン・ダンメはこう説明します。「ベニイロリュウケツジュが成木になるまでには、人間の一生をはるかに超える時間がかかるため、この種の保護は容易ではありません。すべての保護戦略は、気候、放牧、土地利用の将来の傾向を考慮しなければなりません」。アディーブの家庭菜園は、35年になります。

 1996年、2本のベニイロリュウケツジュの苗床を作るためにやってきたイエメン農業省の農学者は、自分のプロジェクトを成功させたければ、アディーブ(アハメドの父親)に連絡を取るべきだとアドバイスされました。そして私と同じように、彼はアディーブの庭を見せてもらいました。あることがきっかけになり、若きアハメドはサヌアで学び、その後エディンバラの王立植物園に送られ、他の農家がベニイロリュウケツジュを栽培するのを奨励するために資金援助を受けて帰国しました。しかしその後、災難に見舞われました。島はサイクロンとイエメンの内戦に見舞われました。雨による洪水で資金が枯渇し、ガーデンの繊細な若木の70%が枯れ、灌漑計画に電力を供給するソーラーパネルやパイプも破壊されました。それでもアディーブは、自分の苗床のために新しい発電機を自費で調達し、フェンスで区画を囲んだ、シェイク・スリマンのような人たちが、台地の高いところで苗を育てられるよう手助けをしました。彼は私たちをそこへ連れて行ってくれると言ってくれました。

 炎天下の中、標高1,000メートルまで3時間かけて登り、ハジャル山脈の石灰岩台地にある苔むした峠を越えました。そこには何千本もの木々が何キロにもわたって立ち並び、ギザギザの花崗岩の崖に沿って、見張りをし、吹きさらしの傘のようなシルエットを大空に映して立っていました。その枯れ果てた枝は、風に絡まるかのように曲がったスポークのようにねじれていました。

 私たちは峠の下でキャンプをしました。夕暮れとともに風が吹き、霧が立ちこめ、私たちの間を通り抜けて、頭上の木々を生命を与える湿った雲で覆いました。この木々が見てきた年月、そして私たちがいなくなっても見るであろう年月は、自然の回復力を常に思い起こさせると同時に、人間の手による自然の脆弱さをも思い起こさせます。

 多くの離島と同様、ソコトラ島は「進化の生きた実験室」です。固有種の数はガラパゴス諸島よりわずかに少ないが、ベニイロリュウケツジュやその他の絶滅の危機に瀕した固有種に希望を抱かせるのは、科学者による重要な研究やフランクリニア財団のような組織による資金提供だけではありません。地域社会との関わりや、アハメド・アディーブのような人々と土地との関係も重要なのです。それは、地球上の絶滅の危機に瀕している野生生物と生息地の保護に専念する国際的な自然保護慈善団体であるファウナ&フローラ・インターナショナル(Fauna & Flora International)が、COP15で警告するといったような協力体制が、2030年までに地球上の少なくとも30%を効果的に保全・管理するという生物多様性枠組の目標 30by30 を達成することになるのであれば「絶対に不可欠」です。ただそうとはいえ、このような大きな風景の中に小さく佇んでいると、それで十分なのかと疑問に思います。

アナベル・ヘーゼルタイン(Annabel Heseltine)は、自然保護と野生生物管理の修士号を持つジャーナリスト。30年以上にわたり、絶滅の危機に瀕する動植物について旅行、執筆、雑誌編集を行っている。彼女は www.socotraislandexpeditions.com のショーン・ネルソン(Sean Nelson)とともにソコトラ島を旅した。

フランクリニア財団(Franklinia Foundation):www.fondationfranklinia.org

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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