それは海の波しぶきのようなもの

ミュージシャンで活動家のニティン・ソーニーが、ジニ・レッディに自身の人生と仕事を語る

翻訳:浅野綾子

ニティン・ソーニーは、ミュージシャン。その多様な影響、文化の壁を越える力、そして多くの作品は、彼をして国際的な認知を得さしめました。彼の作品は、驚異的な関心の広さを反映しています。スピリチュアリティ・社会正義・教育、ー そして彼のますます高まる ー 自然と自然界への関心もその中に含まれています。

ソーニーの最近の功績には、BBCテレビの「Wonders of the Monsoon(仮訳:モンスーンの不思議)」と「Human Planet(仮訳:人間の惑星)」向けに作成した曲や、新譜「Animal Symphony(仮題:動物交響曲)」でバーミンガム市交響楽団との共演、ワーナー・ブラザーズ向けジャングル・ブックの作曲もあります。ふさわしくも、私はブリストルの「Wildscreen Festival【ワイルド・スクリーン・フェスティバル:映像・写真などを通して自然界の物語を祝う世界有数の自然界の祭典】」でソーニーに会い、話を聞くことができました。

あなたは、音楽はいつも自分にとって言葉のようなものだと言い続けていますね。詳しく説明してくれませんか。

音楽は感情と私たちの魂の言葉です。どんな芸術もカタルシスから始まります。そうでなければ、それは芸術でなくなってしまい、ただの何かの意思伝達や、エンターテイメントにすぎません。自分にとて、依頼されて製作する音楽は芸術ではありません。職責を果たすことなのです。自分のアルバムに音楽を書いている時、私にとってそれは芸術なのです。それは、内にある感情から何かを創造することなのです。自分の頭を違うように働かせています。

どうやって音楽の世界に入り込むようになったのですか。

母が地元の教会からピアノをもらったのです。見るなり、ー 4才か5才でしたが ー ピアノに恋をしてしまったのです! とても小さな時に、全てのクラッシックの等級を終えてしまって、その後他のジャンルの演奏をするようになりました。8才の時、初めてジャズ・トランペット奏者のマイルズ・デイビスを聞いて、本当に胸が躍るようでした。他にも、パンディット・ラビ・シャンカール (Pandit Ravi Shankar) や他の奏者によるたくさんのインドのラーガを聞いていました。同時に、ギターにも惹かれました。父には、キューバ、スペイン。インド音楽の、とても幅広いレコード収集がありました。パコ・ペーニャとツアーを回ったフィリップ・ジョン・リー (Philip John Lee) というフラメンコギターの奏者がいました。12才の時、彼のレッスンを受けにロンドンに行っていました。

あなたの社会正義に対する感受性はどこから来るのですか。

とても簡単なことなんです。私は、全ての人間は等しく価値があると思っているのです。これはいつも思っていることです。でも、世界はそのようには回っていない。Brexitの結果や、私たちの尊敬を集めるべき多くの人々の外国人嫌いや狂信的で猛烈な人種差別、ここで起こっていることはご覧の通りです。攻撃的あるいは狂信的になることで、人は自分の価値を貶めます。でも、本質的に私たちは誰でも、どこで生まれても、同じ価値があるのです。

学校でいじめられたことも、あなたの世の中の見方に何らかの影響を与えたと思いますか。

全ての人は平等に価値があるのだという理解の妨げになったと思います。というのは、しばらくの間、自分には同じ価値はないのだと思い込まされたからです。でも、そういった段階を経れば、自分自身が取り戻されるのです。これには時間がかかります。私にとっては、そのプロセスはアルバムを作ることでした。アルバム作りは、小さい時に何があったのかについて気持ちを表現する手段だったのです。アルバム作りは、全ての創造力の在り処、創造力の源なのです。

あなたの少年時代は、世界で起こっていることについてもっと敏感にさせたのでしょうか。

間違いないです。社会の不正義について怒りを感じます。凝り固まった偏見や政治、女性蔑視についてとても腹が立ちます。人種差別の復活を目にする時、とても怒りを感じるのです。

音楽(活動)を越えて、その他どのような方法で、あなたにとって大切な社会正義のための活動に関わっていますか。

私は、アーティス【Artis:イギリスの芸術教育の会社。芸術を教育に結びつけ、子供たちが学校の教育水準に達し、学校の教育水準を上げるカリキュラムを提供している。】の後援者です。アーティスは子供と一緒に活動して、世界を理解するもっと創造的な方法を子供たちに与える手助けをしています。それともう1つ私が好きなのは、子供たちに、掛け算の 1x1 から 30x30 までの計算を頭の中ですることを教えることです。誰にでも1分半で教えることができるんですよ!

ネルソン・マンデラとはどのようにして会われたのですか。

旅をしている時に会ったのです。丁度、彼の自叙伝「自由への長い道(日本放送出版協会:Long Walk to Freedom)」を読み終えたところでした。その頃、私はV2(レコード)と契約していました。彼らは、なぜ私が旅をしたいのかと尋ね、私は、1つは素晴らしい人たちと出会いたいからだと答えたのです。すると彼らは言いました。そうか、マンデラと会えるようにアレンジしてもいいよと。彼の家で会った時、彼はとても謙虚で、とても面白い人でした。

彼と話をしていた時のことを覚えています。南アフリカの未来は子供たちが ー 子供たちへの教育が ー 握っているということについてどのように思っているのか、私はマンデラに話しかけていました。個人秘書が入ってきて、マンデラに話しかけました。「マディバ、ムベキ大統領からお電話です。」 すると、彼は私を見て言いました。「あといくつ質問がありますか。」 私は、「2つか3つです。」と答えました。それから彼は、秘書に言ったのです。「10分後にお電話をかけ直して下さる様お願いして頂けますか。」 それはとても控えめでした。というのも、彼の物言いは、私に、彼は全ての人を同じように見ているのだと気づかせたからです。平等だと考えていたのです。

もっと幅広い考え方を探求して、1年旅をされていますが・・・

「Beyond Skin」(ビヨンド・スキン:肌の色を越えて(仮訳)、アイデンティにまつわるテーマを探求したソーニーのアルバム)を作っており、違うものの見方を求めていました。もっと幅広い考え方を見つけ、試してみたかったのです。成長の本質について問いたかったのです。私たちは、発展した世界に住んでいると思っていますが、実際はそうではないと思います。真の成長とは、私たちが感覚を失ってしまった何かなのだと思うのです。

マンダーウィー・ユノピング (Munderwy Yunopingu:ソーニーが旅で出会ったオーストラリアのアボリジニの年長者)は言いました。精神の植民地化に対して戦うことができる時、人は成長していくと信じると。興味深いと思いました。彼の気持ちや考えを支配しようとする、あるいはアイデンティティーの感覚を操ろうとする人は、どんな人でも好きではないと彼は言っているのです。周りの環境、あるいはあなたの立場、もしくは他人によって支配されるより、むしろ自分の直感に従うなら、あなたは成長するのです。これはもっともだと思います・・・

あなたは、ジャズ・サキソフォン奏者のジョン・コルトレーンがこう述べたと言っています。「即興は、空を飛ぶ鳥をつかまえるようなものだ・・・。」

私は、パンディット・ラビ・シャンカールが、あなたはラーガが現れる媒体なのだと言ったことにも触れました。ミケランジェロも、彫刻は石の中に隠れていると言いました。ですから、あなたが創り出すというよりも、あなたは発見するのだ、という考え方があるのです。それは既にそこにあり、見つけられるのを待っているのです。いつも私たちの周りには多くの偶然が存在するのと同じようなことです。私たちは、ただ心を開いて、波長を合わせれば良いのです。

私には、私たちは自然現象以上のものだという信念が言外にあるように受け取れます・・・。

ええ、もちろんです。私には説明できない多くのことが起こっています。道理や合理性をはるかに越えたものです。でも、それと同時に、多分私はそうしたことを知ろうとはしないでしょう。アインシュタインは、彼の望みは神の心を知ることだと言いました。その目的はおそらく私にはわからないだろうと思います。何が起こっているのか、その設計を理解することはどうやってもできないのです。

あなたの自然との関わりはどうでしょうか。

そうですね、自然は全てです。自然散策が好きです。できる時はいつでも海の近くにいることが好きです。水のある所にいるのが大好きなのです。

あなたはツリー・ハガー (tree hugger:環境保護活動家) ですか。

いいえ。興味深いですね。というのも、「禅とオートバイ修理技術(ハヤカワ文庫NF:Zen and the Art of Motorcycle Maintenance)」の中にこのような引用があるのです。著者(ロバート・M・パーシグ)曰く、ブッダは花びらの中にだけ見出せるのではない。コンピューターの回路の中にも見出せるのだと。全くもってその通りだと思います。

自然は全てです。この部屋全体(ホテルラウンジを指して)が自然の構成物なのです。これもまだ自然なのです。自然は残酷であり得ます。私たちが自然を操作するやり方は自己中心的な時があります。でも、それもまだ自然なのです。全ての悪は、全ての善と同様に自然なのです。自然が何であるかというディズニー化された理解が時に存在すると思います。自然は本能的で、時に人をぎくりとさせ、また危険なものです。

最近バーミンガム市交響楽団とレコーディングした「Animal Symphony」について聞かせてください。

これは、動物の音と動き、反応をベースにした交響曲です。スカイ・アーツ 【Sky Arts :イギリスの衛星放送】からドキュメンタリーを依頼され、本当に面白いと思いました。バーニー・クラウスの「野生のオーケストラ(みすず書房:The Great Animal Orchestra)」を丁度読んだばかりでした。この本の、自然はジオフォニー (geophony) とバイオフォニー (biophony) 、アンスロフォニー (anthrophony) に分かれている、という発想がとても好きです。彼は、音の世界は、この3つに源を発すると言います。ジオフォニーは自然の音、波や雷の音のような音です。それからバイオフォニーは動物と植物、そしてアンスロフォニー、人間が作る音です。

あなたが曲を提供した「Natural World Symphony(仮題:自然界のシンフォニー、2007年BBC Fourで放送)」の最後にプラトンの言葉が引用されています。「この世界は紛れもなく魂と知性を授けられた生きものだ・・・ 他の全ての生きものたちを包含する、1つの目に見える存在なのだ。そして、彼らの自然によって、全ての生きものたちはつながれているのだ。」 あなたの見解はどうでしょうか。

1つの設計があるのだと思いますが、そのようなものを私が象徴化、あるいは擬人化することがあるかわかりません。私たちは意識を持つただ1つの実例である、と決めてかかるのは、おそらくとてつもなく傲慢なことだろうと強く思います。

地上の生命は、私たちが認識しているただ1つの実例です。ですが、宇宙それ自体が意識であると思うのです。なぜなら、私たちは宇宙の一部だからです。思うに、私たちの問題の1つは、私たちのエゴが、私たちは全ての流れの一部なのだと考えることを邪魔していることです。私たちは、海の波しぶきのようなものだと思います。ある一時、宙に浮かび、そして波へと流れて戻り、海へと帰っていく。でも、別のものではないのです。海とは違うものなんかではない。全てが海の水なのです。

ニティン・ソーニーを聞いてみましょう。: www.nitinsawhney.com

tinyurl.com/CERN-nitin-sawhney

tinyurl.com/einstein-tagore-nitin-sawhney

ジン・レッディはジャーナリストであり、「Wild Times: Extraordinary Experiences Connecting with Nature in Britain(仮訳:野生の時:イギリスの自然とつながる素晴らしい体験)」の著者。


I Think of It Like a Spray From An Ocean Wave • Jini Reddy

Nitin Sawhney, musician and activist, talks about his life

301: Mar/Apr 2017

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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