やはりスモール イズ ビューティフル

ポール・キングスノース曰く「革新的」環境保護主義者たちは、EUにそそのかされ、現代の小作農の反 乱によってつまはじきに。

翻訳:浅野 綾子

 ジョン・バージャーが著した1979年 の小説「ピッグ・アース (Pig Earth) 」 (20世紀ヨーロッパにおける小作農の 生活の衰退を記録した3部作の第1部) の入門書の中で、バージャーは、彼の 言う「成長の文化 (culture of progress)」 と「生き抜く文化 (culture of survival) 」 の違いを説明しています。彼は、「成 長の文化は、支配階級である中産階級 と共に生まれ、変革についての全ての近代的理論に受け継がれている」と言います。現代西洋における、実質上全 ての政治的イデオロギーの主張者(資 本主義者、共産主義者、リベラリスト、 現代的保守主義者)は、この意味で成 長主義者なのです。彼らは、絶え間な い成長と変化を信じています。バー ジャーは、彼らの違いが成長の内容に ついての戦いに発展すると言います。 生き抜く文化は、対照的に、小作農 階級の文化であり、先住民の文化であ り、言わば前近代的な文化です。人類 の歴史における大多数を占める人々の 文化であり、それはまた、現代におい ても、未だ多くの人々の文化なのです。 バージャーにとっては、自身が身を置 いて暮らすフランスの小作農階級の人々 が、この実例です。生き抜く文化には 最終ゴールがありません。ただ存在す ることなのです。一日一日を生き、一 年一年を生きていく。それがこの文化 の目的です。繰り返されていく生活な のです。一方、成長の文化における究 極のゴールは、文化の死そのものとい う、文化自体を失くしてしまうことで

す。このゴールのためには、伝統的な 生き方、物の見方、この世の自然の美 しさのほとんどをぶち壊すことが、捧 げられるにふさわしい犠牲となるので す。 時を遡って1979年、フランスとヨー ロッパ中の小作農が、農地から大量に 離農していきました。これは偶発的に 起きた事柄ではありませんでした。意 図された断絶だったのです。バージャー は、誰が仕掛人かはっきりとわかって いました。その当時の欧州経済共同体 (EEC) だったのです。「EECの経済企 画者らは」、バージャー曰く、「20世 紀の終わりまでに、小作農の組織的な 排除のビジョンを描いていた。短期的 な視点での政治的理由により、彼らは 排除という言葉は使わず、近代化とい う言葉を使った。近代化は、小規模小 作農民(大多数を占める)消滅と、残っ た少数の比較的規模の大きい農家を社 会的・経済的に全く異なる存在へと変 身させることを、必然的に伴ってい た」。 40年を経て、西ヨーロッパにおける 排除の(失礼、「近代化」の)プロセ スは完了し、EEC(現在のEU)は東 ヨーロッパへ矛先を向けています。小 作農階級の破壊と、彼らが暮らして創 り上げた自然の多様性に富んだ景観の 破壊で、ルーマニアやポーランド、ハ ンガリー、他EU加盟の国が、今この瞬 間にも地ならしされているのです。ヨー ロッパの共通農業政策 によって行われ た大規模な破壊(農道の生垣や森林、野生生物、地域の特徴的景観、小さな 家族経営農場の壊滅と、工業農業と農 産物の自由貿易の促進)は、50年にわ たりヨーロッパの農村の景観に対し、 過去500年のどの施策よりも、おそら く多くの損害を与えてきました。 1970年代に戻り、バージャーが執筆 していたころ、ほとんどの緑の党の党 員を含む急進主義思想家たちは、反民 主的・官僚主義的・中央集権的なEEC によって損害がもたらされることを確 信していました。E.F.シューマッハ【イギリスの経済学者】やレオポルド・コー ル【オーストリアの経済学者】、エド ワード・ゴールドスミス【フランスの哲 学者・作家】、トニー・ベン【元イギリス下院議員。労働党左派のリーダーだった 大物政治家。】やその他多くの人々によ る、EECが体現する成長の文化に対す る、確固とした反対の主張が聞かれま した。民主的手続きによらず、こっそ りと立ち上げられ、巨大企業の利益の ために運営されていたEECには、明確 な目的がありました。ヨーロッパ諸国 の民主的に成立した主権を、廃絶なら ずとも衰退させ、国境のない巨大な自 由貿易ゾーンの創出のために、「プー ル」することでした。平和や平等、兄弟愛という言葉で美しく包まれてはい ましたが、その名がほのめかす通り、 EECは第一義的に経済組織でした。成 長の文化は、画一化、中央集権化、支 配と利益の文化だったのです。 時を40年後に進め、現在のEUは、こ の目標達成に非常に成功してきています。6カ国の自由貿易ゾーンから、28カ 国からなる巨大国家へと変身。独自通 貨や政府、それぞれの文化や伝統があ るにも関わらず全ての加盟国に平等に 適用される法律を持つ巨大国家です。 EU内の「貿易障壁」は取り払われてき ました。「貿易障壁」には、地域の生 活様式や各国の法律、最も議論の的に なる、他の国からの人の流入をコント ロールする近代国家の権利も含まれま す。説明義務、各国の特色、地域主義 は、EUという重みの下に潰され続けて いるのです。 「何か上手くいかない時はいつも」、 レオポルド・コールは彼の定評作 「The Breakdown of Nations(仮訳:国 家の崩壊)」の中でこう述べました。 「大きすぎるのだ」と。ここに来て、 EUの実質上全てが大きすぎており、そ れは一目瞭然です。28カ国を1つの経済 的まとまりとして維持することの不可 能さは、EUに、アイルランドからギリ シャ、スペイン、ポルトガルというEU 諸国内でも貧しい周縁国の人々を、借 金返済のための労働者酷使、大量の失 業へと追い込むよう仕向けてきました。 巨大国家の夢を見続けるためにです。

恐ろしい程の冷酷さをもって成し遂げ てきた夢のために。これによって生じ た経済危機は、脱国境政策の文化的・ 社会的影響と相まって、多くのEU諸国 に極右政党を誕生させました。これに 対してEU擁護者が言うのはこの一言。 EUはそれに対抗するために存在してい る。そう言うのです。経済的、文化的、 政治的に、この巨人はよろめいていま す。巨人とはいつもそうなのです。「ス モール」は、結局のところ美しくて素 晴らしい。そう思いませんか。 ですから、イギリスのような主要な 国が、EUを離脱して自分の道を行くこ とを選ぶとき、緑の党の党員の間でお 祝いムードがあるのでは、とあなたは 思うのではないでしょうか。EUが数々 の有益な環境規制を作成する先頭に立っ ていたこと(それぞれの国の国会で法 案が作成され可決されたというより、 むしろ近代国家に押し付けた規制であ ることは言うまでもありません)は、 勿論事実です。でも、EUは、農業や文 化的相違、野生生物に大地、民主主義 に与えた損害の埋め合わせをしている でしょうか。この損害を数値化するこ とはできません。でも、EUかイギリスか、どちらを非難するにせよ、緑の党 員の間で、EU内の自然と未来につい 33 て、人間なら自然に抱く懐疑心が、少 なくとも相当に渦巻いていることは間 違いないはずです。 にもかかわらず、ほとんどの緑の党 員たち(自分たちを何にせよ急進主義 者だと思っているほとんどの人たちな のですが、実のところ)は、イギリス のEU離脱の悲しみをミューズリーでも 食べて紛らわそうとしているように見 えます。もっと酷ければ、残留に投票 した多くの人々は、ただ文句言うので はなく、EU離脱を選んだ人たちに対し て暴力的な攻撃を始めているのです。 馬鹿者!人種差別者!自己中心的なは げ頭!ただ彼らが自分が何を話してい るのかわかっていたら、ただ正しい教 育を受けていたなら、ただ薄汚い右寄 りの新聞を鵜呑みにしていなかったら、 面の皮の厚い訳のわからない官僚政治 と、そのお友達であるグローバルビジ ネスの輩と一緒に横たわる自分達の未 来が見えたはずだったのです。 見るに驚きの連続です。いくつかの 注目に値する例外(例えば緑の党の上 院議員であるジェニー・ジョーンズ)を除いて、「反体制」と思われる政治 家や思想家、著名人は、EUの支配的な 成長の文化に賭けました。それもおず おずとではなく、大いに熱狂しながら です。離脱の決定は、こうした人々の 一部では、1つの機会、あるいは束縛 を払いのけること、単に適応しなけれ ばならない変化としてさえでもなく、 国家的な災難として扱われているので す。 今何が起こっているのでしょう。EU は、現在ある環境保護原則の全てにこ とごとく違反しています。地域と対極 にあるのです。自然界に破壊的であり、 文化的特徴を一掃し、反民主主義であ り、働く人々の利益よりも銀行や大企 業の利益を優先するのです。なぜ、い つ、どのように、環境保護運動は、地 域主義と民主主義への献身を捨て、EU のような獣と床を共にするようになっ たのでしょうか。 1つの答えとして、EUは現実を表す ものというよりも、むしろ象徴になっ ているのではないでしょうか。EU離脱 か残留か、どちらに投票したにせよ、 それが実際に何を意味するのかよくわ かっている人はほとんど皆無に近いの ではないでしょうか。むしろ、EUが象 徴することに対して賛成か反対かを投 じたのです。賛成した人たちにとって は、大陸単位での協力や世界主義、人々 の自由な行き来(勿論お金も)、その 他有益な事柄をEUは象徴しているので す。EUに反対することは、対照的に、 国粋主義、人種差別、利己主義や大学 の学位がないことを意味するのです。 すなわち、自称「革新主義者」が本能 的に反応する全てのことを意味してい るのです。言葉を変えれば、EU所属の 利益、さもなければ政治的連合国家に ついての理性的な議論ではないのです。 「どっちの味方なの?」議論なのです。 そして、徐々に階級を境に分裂してい ます。 階級は、常に、環境保護運動の中心 を上から下に走る傷であり続けていま す。イギリスのEU離脱国民投票で、こ のことが露呈しています。離脱に投票 した人たちは、自分達の国の民主的コ ントロールを回復したいと願いました。彼らは発言権が欲しかったのです。と いうのも、離脱に投票した多くの人々 が、自分達はいつも無視されていると 感じていたからです。労働者階級と下 位中流階級(文化もしくは政治的エリー トではない)の人たちは、体制側のあ らゆる部門から示される忠告に逆らい、 現代における小作農の反乱とも言うべ きことをやり遂げたのです。緑の党員 たちは、地域に力を取り戻すこと、国 の民主主義を回復すること、このイギ リスの島国と生物的地域に独自に適用 される環境・社会規制を作ることを訴 えて、彼らの側に立つこともやろうと 思えばできました。これこそが、結局 のところ、地域主義のあるべき姿なの です。 でも、こうした主張はついぞされる ことはなかったのです。なぜでしょう か。もしかしたら、EUやグローバル化 のプロジェクトにおけるその役割によっ て、悪影響を受ける社会階級出身の緑 の党員がほとんどいないからかもしれ ません。緑の党は、いつも、主として 教育を受けた中産階級の知識人による 運動であり続けてきました。左の社会 主義者でも、右の保守主義者のようで もなく、後ろ盾となる大衆運動があっ たためしがありません。今回のEU離脱 国民投票のような時、それが一目瞭然 となるのです。大量移民のため賃金カッ トの憂き目にあった経験がある緑の党 員は何人いるでしょうか。グローバル 新自由主義プロジェクトが流れるよう に進められる時、自分の声が無視され る、大切にされていないと感じたこと がある環境保護主義者の知識人が何人 いるでしょうか。もしくは、彼らが民 衆の先頭に立つことがあったでしょう か。イギリスの地域性を取り戻すため に、楽観的で真に革新的な主張の全て をしようと思えば誰もが出来る時、緑 の党は、たいてい左派ですが、互いに 支えあうために固まってしまい、何が 起こるのだろうと思いをめぐらす、孤 立したエリートのお仲間集団に見える のです。突如として彼らは、とても、 そう、保守的に見えるのです。

思うに、これは環境保護運動が苦し んでいるもう1つの問題と関係があるの ではないでしょうか。環境保護主義の 独自政治は、ここ数十年、グローバリ ストが残した「成長」という大きな政 治に包摂されています。かつて、緑の 党は、右・左派両方の成長の文化に挑 戦しました。自然や地球、地域の共同 体と、人々を再びつなぐことを追い求 め、新たな政治の物語と政治を語る言 葉を作り上げることを試み、独自の環 境保護中心の道筋を歩んでいました。 しかし、全ては遥か遠く昔となってし まいました。今日、環境保護の政治活 動は、左派の分派集団の活動の1つに 成り下がっています。トップダウンの 解決と判断を促進。成長は問題という よりむしろ解決なのだとほのめかしな がらの緊縮財政に対する反対運動。社 会における最も貧しい3分の1への社会的影響に関わらず、人口増加やそれに よって生じる環境破壊に関わらず、脱 国境を推し進める。かつては急進的な 政治運動でしたが、緑の党は、今、ソー ラーパネルを手にした社会的民主主義 者の様相を呈しているのです。 この問題への最終解答は、環境保護 主義者たちと国家との関係を変えるこ とにあります。かつて、緑の党員たち は、国家と企業という両方の大きさと パワーに懐疑的でした。今日、「左派の環境保護主義者」たちのほとんどが、 イギリス国家社会主義の伝統に忠実に、 国家を経済市場に反対する人々の擁護 者として理解しているようです。これ が、物事の見方になっているなら、巨 大国家は巨大擁護者ということになる のです。このことは、左寄りの環境保 護主義者たちのほとんどが、EUを、大 企業と自ら選んだ政府の両方からイギリスを守る、慈悲深く気前の良いパパ として捉えているように思われる状況 にいかにして至ったのかを説明してく れます。 このことに対して何ができるのでしょ うか。イギリスがEU離脱の準備をして いる今、喫緊の課題のように思われま す。EUの官僚政治から離れ、イギリス の民主主義を再び活気づける急進的な 主張をしようと思えばできるのです。 例えば、共通農業政策や、共通漁業政 策の命令に支配されずに済むのなら、 大地や海を遥かに持続可能なやり方で 管理する方法を、少なくとも提案する ことができるに違いありません。緑の 党はこの議論の中核にいるべきです。 ですが、彼らはそこにはいないのです。 人々がなぜEUを拒むことに票を投じた のかを彼らが理解し始めるまで、人々 は緑の党のメッセージにおそらく耳を 傾けないでしょう。 真に急進的と言えることが、イギリ スでまさに起こっているのです。成長 の文化にアリの一穴が開けられました。 それは、知識人でも、イデオロギー主 35 義者でも、政治哲学者でもなく、1740 万人の普通の人々によって開けられた のです。「革新主義者」は「草の根」 のために声を上げているのだと主張す ることを好みます。今、彼らは、草の 根とはいかなるものかを目の当たりに し続けているのです。機が熟した瞬間 があるとするなら、まさに今です。今 ならどんな方向にも行けるのではない でしょうか。緑の党はどう行動するの でしょうか。

ポール・キングスノース (Paul Kingsnorth) は、著述家、エコロジスト 誌の元副編集長、「The Dark Mountain Project」共同創始者。彼の最新の小説 「」は今年の7月に出版。アイルランド 在住。http://dark-mountain.net



299: Nov/Dec 2016

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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